【5:7】
『ヒラムはソロモンの申し出を聞いて、非常に喜んで言った。「きょう、主はほむべきかな。このおびただしい民を治める知恵ある子をダビデに授けられたとは。」』
ソロモンから遣わされた使者たちを通してソロモンの言葉を聞いたヒラムは、ソロモンのことを知り、ソロモンのことで『非常に喜』びました。何故なら、ダビデの子ソロモンが幸いな支配者であると分かったからです。これはヒラムがダビデと真の友情を持っていた証拠です。ヒラムとダビデの間に真の友情があったからこそ、ヒラムはダビデの子のことで喜べたのだからです。もし友情が無ければ、ダビデについてどうでもいいと感じるのと同様、ダビデの子についてもどうでもいいと感じていたでしょう。ソロモンの知恵の噂は、このヒラムにも当然ながら届いていたはずです。諸国がソロモンの知恵について知りながら、ヒラムが知らなかったというのは考えられない話です。ヒラムは、使者たちを通して聞いたソロモンの言葉から、ソロモンの噂が本当に確かであることを感じ取りました。というのも言葉は知性を如実に示すからです。このため、ヒラムはソロモンのことを『知恵ある子』と言いました。
このソロモンとダビデの場合もそうでしたが、正しい者には、神が恵まれた後継者を与えて下さるものです。ダビデが正しかったので、神はソロモンをダビデに続く王として立てて下さったのでしょう。つまり、恵まれた後継者が現われるのは、神が正しい者を喜んでおられる目に見える印であると言っていいかもしれません。アブラハムにはイサクが与えられましたし、イサクにもヤコブが与えられました。モーセの後継者としてヨシュアが立てられたのも、これの良い例です。エリヤにエリシャが続いたのも、そうでしょう。
ヒラムは、ソロモンがダビデに続いて立てられたのを、ヤハウェによる出来事であると認識していました。これは正しい認識です。ダビデの後継者としてソロモンが立てられたのは、幸いなことでした。ですから、ヒラムはソロモンを王として立てて下さった主に『ほむべきかな。』と言い賛美しています。これは神がヒラムの友ダビデとその国に良くして下さったからなのです。ヒラムがこのように主を賛美しているのは、何を意味しているのでしょうか。これはヒラムが主を信じる選ばれた者であったことを示しているのでしょうか。そうではないでしょう。ヒラムは救われていなかったものの、主を賛美したに過ぎなかったはずです。何故なら、ヒラムにとってヤハウェとは、友であるダビデの神だったからです。つまり、ヒラムはダビデへの友情および宗教的な思いやりからヤハウェを賛美していただけであり、ヤハウェ信仰を持っていたという証拠とは考えにくいのです。今でも未信者でありながら主を賛美したり高く評価したりする者が存在します。例えば、松下幸之助はキリストを大いに尊んでいましたし、J・S・ミルもキリストを激賞し良いことばかり言いました。ヒラムもこのような種類の人だったのでしょう。