Ⅰ列王記5:8(2023/08/14)
【5:8】
『そして、ヒラムはソロモンのもとに人をやって言わせた。「あなたの申し送られたことを聞きました。私は、杉の木材ともみの木材なら、何なりとあなたの望みどおりにいたしましょう。』
使者によりソロモンから要請を受けたヒラムは、ソロモンの要請を快く聞き入れます。これはヒラムとダビデの友情ゆえだったはずです。ヒラムはダビデと友だったので、ダビデの子ソロモンも友であるかのように取り扱ったのです。ここにおいてヒラムとダビデの間における友情は、ソロモンに引き継がれたと言っていいでしょう。もしヒラムがダビデと友情を持っていなければ、ヒラムはソロモンの要請を聞き入れていなかったかもしれません。ヒラムは『杉の木材ともみの木材』であれば、ソロモンに提供できると言います。先にソロモンは『杉の木』(Ⅰ列王記5章6節)だけを求めましたが、ヒラムはそれに加えて『もみの木材』も提供できると言いました。ヒラムは提供できる木材として、この2つを示したのです。もし更に提供できる木材があったならば、ヒラムはその木材についても提供できると言っていたでしょう。というのも、出し惜しみしないところに真の友情があるからです。それゆえ、ヒラムはソロモンがどれだけの量を求めようとも、その求めに応じていたことでしょう。もちろん、物理的な限界の領域内においてではあったでしょうが。
宮がソロモンにより建てられるのは、神の御心に適っていました。神は御自分の宮が建てられることを欲しておられました。だからこそ、ソロモンのヒラムに対する求めは、ここまですんなりと聞き入れられたのです。というのも神がヒラムの心に働きかけ、ソロモンの求めに応じるようにされたからです。もし宮がまだ今は建てられるべきでなかったとすれば、神はヒラムがソロモンに応じないよう働きかけておられたでしょう。このように神の御心であれば、事はすんなりと運ぶものです。上手く行くだろうかと不安になっていても、驚くほどスムーズに事の流れが進みます。これは神が御心の方向へと流れを動かされるからなのです。神の御心でない場合は、私たちがどれだけ努力し知恵を働かせても、事が上手く進むことはありません。神の御心でなければどうして何か実現するということがあるでしょうか。