【5:16】
『そのほか、ソロモンには工事の監督をする者の長が三千三百人あって、工事に携わる者を指揮していた。』
ソロモンは、工事する者たちの監督者をも選んでいました。その監督の数は『三千三百人』でしたから、工事の規模がどれだけ大きかったかよく分かります。日本大学も規模が大きいので、教職員だけで2540人もいるのです。もしこの工事が普通程度のものであれば、監督者は数百人もいれば足りたかもしれません。この監督者の数である「3300」は、何か象徴的な意味を持っているのでしょうか。象徴的な意味を見出そうとすれば、これは「33」かける「100」に分解されるでしょう。この場合、ソロモンが選んだ監督者たちは監督として非常に純粋な集団だったことを意味しています。何故なら、「33」とは聖書において清めを意味しており、それが「かける100」なのだからです。しかし、このように分解すべきだと確言することはできません。この「3300」という数字は、特に象徴的な意味を持っていない可能性もあります。そうだとすれば、この人数はただ数が多かったとだけ考えるべきことになります。
【5:17】
『王は、切り石を神殿の礎に据えるために、大きな石、高価な石を切り出すように命じた。』
ソロモンは宮の礎として石を切り出すよう命じます。この石が無ければ何も始まらないからです。この礎の石の上に神殿が建設されるのです。ですから、礎の石は人体で言えば「骨」と似ているかもしれません。この骨なしに人間の身体は全く成り立たないのです。骨があってこそ様々な部分や結合がしっかり成り立つのです。ソロモンは、『神殿の礎』として『高価な石』を切り出させました。これは神の神殿における礎がイエス・キリストであられるからです。実際、先にも述べた通り、聖徒という神殿の礎はキリストであられます。ですから石なるキリストを示す『礎』の石が、いい加減な石であったり安価な石であったりしてはならないのです。キリストは永遠に崇められる至高の神であられます。それゆえ、神殿の礎となる石は最も価値高い石でなければなりませんでした。