聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記6:7~8(2023/08/25)

【6:7】
『神殿は、建てるとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や、斧、その他、鉄の道具の音は、いっさい神殿の中では聞かれなかった。』
 宮のために使う石は、あらかじめ宮から離れた場所で全て加工済みとされました。その加工をした『石切り場』については詳しく分かりませんが、これは分からなくてもどうということがありません。今でもこのようなやり方で建物であれ道路であれ作られることがあります。例えば、最近に行なわれた老朽化した首都高速道路の建て替え工事の際は、前もって別の場所で完成された道路が工事現場に持ち運ばれ組み立てられました。このようにすれば、現場では加工済の物を組み合わせればいいだけとなります。このようなやり方はソロモンも時代から既に行なわれていたのです。このため、『工事中、槌や、斧、その他、鉄の道具の音は、いっさい神殿の中では聞かれなかった』のです。どうして宮に使う石はあらかじめ他の場所で仕上げられたのでしょうか。どうして宮の場所では工事音が聞かれないようにされたのでしょうか。これは神に対する礼節のためだったと思われます。工事の音が宮で聞かれるのは、そこに住まわれる神の御前で騒がしいため、あまり相応しいとは言えません。人間の王にしても、例えば王がいる謁見の場で騒がしい工事をしたとすれば、それは不敬なことでしょう。ところで、このように宮の場所で工事音が聞かれなかったのは、石に工具をあててはならないと命じられたあの律法と何か関わりがあるのでしょうか(出エジプト記20:25)。確かにその律法では、工具を石にあてるなと言われています。しかし、その律法とこの宮のことは関係がありません。何故なら、あの律法で言われているのは『祭壇』のことだからです。ソロモンが建てていたのは「宮」です。ですから、ソロモンは宮で使うための石に工具をあてて加工することができました。宮はこのようなやり方が採用されましたが、私たちもこのやり方に倣うべきでしょうか。例えば教会堂を建てる時があったとすれば、私たちはこのやり方に倣う必要がありません。何故なら、古代における神殿と今の教会堂は対応していないからです。古代の神殿に対応しているのは教会堂でなく、聖徒という神殿です。ですから、教会堂が建てられる場合は、会堂の工事中にそこで工事音が聞かれても問題ありません。

 

【6:8】
『二階の脇間に通ずる入口は神殿の右側にあり、らせん階段で、二階に上り、二階から三階に上るようになっていた。』
 脇間は『神殿の右側』から入るようになっていました。左側でなく『右側』からだったのは、太陽が右側すなわち東から出て来るためだったのでしょうか。聖書は明らかに左より右を優位に置いていますが、脇間の入口が『右側』にあったのも、聖書の思想と強い関係がありそうです。この脇間は『らせん階段』で繋がっていました。その階段を使い、地上部分から2階へ、2階から3階へと上るわけです。1階と3階は繋がっていませんでした。