【6:31~32】
『彼は内堂の入口を、オリーブ材のとびらと五角形の戸口の柱で作った。二つのオリーブ材のとびらである。彼はその上に、ケルビムの彫刻と、なつめやしの木と花模様を彫り、金をかぶせた。ケルビムと、なつめやしの木の上に金を延ばしつけたのである。』
至聖所と聖所は『とびら』の『入口』により区切られていました。聖所で仕えている祭司たちは、いつも至聖所に至る扉をその目で見ていたはずです。その扉は奥のほうにありました。しかし、その扉の中に祭司たちが入ることはありませんでした。もちろん、祭司たちはその向こうに主がおられるのをよく知っていました。しかし、その中を見ることはできなかったのです。これは心臓や脳があるのを知っているものの、実際にそれを見ることがないのと似ているかもしれません。この入口の扉は左右に2つあり、中央部分で前後に押したり引いたりするタイプでした。左の扉の基軸は左の端にあり、右の扉の基軸は右の端にありました。つまり、これは左右にひきずって動かすタイプの扉ではありませんでした。前後に動かすタイプが主の御心だったのです。しかし、この扉が奥のほうに押し出すタイプか内側に引くタイプだったかまでは分かりません。どちらの動きもできた可能性もあります。この扉は、右も左も『オリーブ材』で作られました。オリーブ材で扉が作られた意味は何だったのでしょうか。これはその扉が聖徒の通る聖徒に関わりのある物だったからなのでしょう。またこの扉を動かす基軸となる『戸口の柱』は『五角形』でした。この柱が『五角形』だったのは単に構造的な必要性からだったはずです。何故なら、聖書において「5」は象徴的な意味を持っていないからです。ソロモンはこの2つの扉にも、先に見た『神殿の周囲の壁』(Ⅰ列王記6:29)と同様、『ケルビムの彫刻と、なつめやしの木と花模様』を彫らせました。この扉も単純な印象とはされなかったのです。寧ろ、扉は芸術的で特徴ある印象とされました。そして、この扉にもやはり『金』が覆われました。金が覆われても、そこに刻まれている柄が見にくくなることはなかったでしょう。何故なら、柄は深く彫られていたでしょうし、金も柄を台無しにするほど濃く覆われたのではなかっただろうからです。