【7:28~30】
『この台の構造は次のとおり。台には鏡板があり、鏡板はわくにはまっていた。わくにはめられている鏡板の上には、雄獅子と牛とケルビムとがあり、雄獅子と牛の上と下にあるわくの表面には花模様が鋳込んであった。それぞれ台には青銅の車輪四つと、青銅の軸がついており、台の四隅には洗盤のささえがあり、そのささえは洗盤の下にあって、各表面が花模様に鋳られていた。』
ここから『台の構造』が示されています。Ⅰ列王記7:37の箇所で書かれている通り、10個の台はどれも同じように作られていました。ミクロ的に見れば僅かな差はあったでしょうが、そこまで厳密に考える必要はありません。この台についてはかなり詳しく書かれています。ですから、台だというので軽んじることはせず、私たちは多かれ少なかれこの台に心を向けるべきでしょう。もしこの台がどうでもいい物だったとすれば、聖書はここまで詳しく書いていなかっただろうからです。まず、この台には『鏡板』がありました。鏡板とは、外側が高くなっている皿のような平べったい容器のことです。「鏡」とありますが、鏡を使っているわけではありません。ソロモンの時代に鏡はかなり珍しい物だったはずです。この『鏡板はわくにはまってい』ました。つまり、動かないように固定されていたということです。この鏡板の上には『雄獅子と牛とケルビム』が見られました。『雄獅子』は力強さを、『牛』は堅固さを、『ケルビム』は保護と神性さを意味しています。また、『雄獅子と牛の上と下にあるわくの表面には花模様が鋳込んで』ありました。この『花模様』は美しさのため鋳込まれたのでしょう。このような台も芸術的となるように作られたのです。この台には『青銅の車輪四つ』が付けられていました。つまり、台は移動できるようにされていました。車輪が『四つ』だったのはバランスと見栄えのためだったと考えられます。1つだけでは倒れてしまうでしょうし、2つであれば車輪が巨大となり不格好でしょうし、3つであれば倒れ易くなっていたことでしょう。この車輪は『青銅の軸』により台と繋げられていました。この台にある洗盤は台の四隅にある『ささえ』の上にあり、その『ささえ』は『各表面が花模様に鋳られてい』ました。このような『ささえ』の部分にさえ芸術性が付与されていました。宮に関わる物はどれも決して手抜きがされていなかったのです。あらゆる部分が重視されていたのです。