聖書の学び

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Ⅰ列王記19:10(2024/06/21)

【19:10】

『しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。』
 エリヤが『万軍の神、主に、熱心に仕え』たのと異なり、『イスラエルの人々』はエリヤと真逆のことをしました。これほど正反対である事柄も珍しいかもしれません。エリヤがここで『イスラエルの人々』と言っているのは、北王国イスラエルの人々であり、つまり南王国ユダの人々ではありません。このイスラエル人の酷い悪事をエリヤはここで3つ挙げています。まず『イスラエルの人々はあなたの契約を捨て』ていました。『契約』とはモーセを通してイスラエルに神から与えられた聖なる律法のことです。神がイスラエルと結ばれた契約は、この律法により示されます。ですから、神との契約を持つイスラエル人は、契約の言葉である律法を遵守せねばなりませんでした。『あなたがたは契約の言葉を守り、行ないなさい。』と申命記で書かれている通りです。ところが、イスラエル人たちはこの律法を全く捨て去っていました。恐らく彼らの頭には律法のことなど少しも浮かばなかったかもしれません。一部の人々だけが『契約を捨て』ていたのではありません。『イスラエルの人々』の全体が神との契約を捨てていたのです。契約の民が契約を捨てるという、これほど酷く悲惨なことが他にあるでしょうか。またイスラエル人たちは神の『祭壇をこわし』たままでいました。それを回復させることもしていませんでした。『祭壇』とは祭儀の基礎となる物です。その祭壇を壊したままにして平気であるというのは、神のことなど完全にどうでもよくなっていたことを示しています。イスラエル人の心は完全にバアルに傾いていたからです。そしてイスラエル人たちは神の『預言者たちを剣で殺しました』。これはイゼベルの大量虐殺のことを言っているのでしょう。イゼベルの虐殺命令にイスラエル人たちが賛同しつつ従ったので、イスラエル人たちの手で預言者たちは殺されました。このためイゼベルの虐殺は、イスラエル人たちの行なった虐殺でもあったのです。この時のイスラエル人は自分たちの精神内で神を殺していました。ですから、その神に属する預言者たちをも平気で殺せたのです。これら3つは、そのどれか1つだけであっても致命的に悲惨な邪悪でした。しかし、イスラエル人はそれを3つも重ねて犯していたのです。このことから、この時のイスラエル人たちがどれだけ罪深かったのかよく分かります。これほどまでに耐え難い罪深さは他にないとさえ言いたくなるぐらいの酷い堕落があったのです。

 

『ただ私だけが残りましたが、』
 エリヤはイスラエルの中で『ただ私だけが残りました』と言っていますが、エリヤには確かにこのように思えたのです。少なくともエリヤを中心とする状況範囲だけを見たならば、エリヤの言った通り、イスラエルで堕落せずに残っていたのはエリヤだけだったと言えたでしょう。しかし、後の箇所からも分かるように、イスラエルの全体を見るならばエリヤ以外にも堕落せず残っていた聖徒たちがかなり存在していました。人間が知ることのできる範囲は限られていますから、エリヤは神から知らされるまではまだそのことを知らなかったのです。それゆえ、エリヤが『ただ私だけが残りました』と言っているのは事実と異なるものの、偽りとか嘘だったことになりません。