【20:43】
『イスラエルの王は不きげんになり、激しく怒って、自分の家に戻って行き、サマリヤに着いた。』
アハブは、まさか預言者が自分について言っているなどと気付かず、自分のことを厳しく取り扱いました。アハブは、話の中における者が見張れなかった代償を払うべきだと言いました。しかし、その者こそ正にアハブだったのです。ですから、アハブは自分で言った通り、自分がベン・ハダデを逃した代償をしっかり払わねばなりませんでした。アハブは、預言者からこのようにして神の宣告を告げ知らされるなどと予想してもいなかったことでしょう。アハブは恐らく騙されたと感じた可能性もあるでしょう。そもそもアハブは自分が悪いことをしたと感じていなかったかもしれません。すなわち、ただアハブはベン・ハダデに憐れみを与えただけのつもりだったかもしれません。しかし、その憐れみは、神の御前において正しい憐れみではありませんでした。この通り、アハブは自分の致命的な過ちに対する宣告を受けました。このため、アハブは『不きげんになり』ました。しかし、こうなったのはアハブが罪を犯したからです。アハブが神を不快にさせたので、神も報いとしてアハブを不快にされたのです。こうしてアハブは『激しく怒』りました。何故なら、預言者から告げ知らされた神の御言葉に反論できないからです。アハブは話の中において自分自身から弁解の余地を取り去ったのですから、神の宣告を黙って聞き入れる他はありませんでした。ですから、アハブはどうしようもなくなり怒るしかなかったのです。そして、アハブは『自分の家に戻って行き、サマリヤに着』きました。本来であればアハブは勝利の喜びに満ちつつ帰れたことでしょう。しかし、アハブは神の御心を損ねましたから、帰りの歩みは怒りに満ちたものとなったのです。「自業自得」とは正にこのことでしょう。私たちもアハブのようにならないため、神の御心を損ねないようにすべきです。もし神の御心を損ねるならば、私たちはアハブのようになっても文句を言えないのです。