【5:16】
『神の人は言った。「私が仕えている主は生きておられる。私は決して受け取りません。」それでも、ナアマンは、受け取らせようとしきりに彼に勧めたが、彼は断った。』
エリシャに贈り物を受け取らせようとしたナアマンでしたが、エリシャは受け取ろうとしませんでした。何故なら、エリシャは、ナアマンから贈り物を受け取るため癒されるようにしたのではないからです。エリシャは癒されることでナアマンが全能の神を知るようにしたのです。実際に、神から癒されることでナアマンは『イスラエルのほか、世界のどこにも神はおられないことを知り』ました。ですから、ナアマンが癒され神を知ったことだけで、全てはもう良かったのです。ここでエリシャは『私が仕えている主は生きておられる。』と言い、決して受け取らないことを誓いました。これはもし贈り物を受け取るなら神から罰せられても構わないという宣言です。何としてもナアマンは贈り物をエリシャに受け取らせたかったはずです。しかし、エリシャがこのような態度でしたから、贈り物を受け取らせることは遂にできませんでした。もしナアマンが単にエリシャを経済的に支えるとか養うというのであれば、話は違っていたでしょう。その場合ならエリシャもナアマンからの助けを受けていたはずです。実際、先に見た箇所で、エリシャはシュネム女から食事のもてなしを受けており、屋上にエリシャが使う部屋さえ用意してもらったほどでした。バアル・シャリシャからやって来た人がパンと新穀を渡した際も、エリシャはそれを拒みませんでした。つまり、サポートのような形であれば問題はありませんでした。しかし、この時にナアマンの渡そうとした贈り物は性質が異なっていました。