【6:21】
『イスラエルの王は彼らを見て、エリシャに言った。「私が打ちましょうか。私が打ちましょうか。わが父よ。」』
エリシャに導かれたアラム軍を見たイスラエル王は、精神が奮い立ちました。敵が完全に自分たちの手中に陥ったからです。ちょうど罠にかかった獲物を見て喜ぶ人と似ているかもしれません。ここでイスラエル王が『私が打ちましょうか。私が打ちましょうか。』と繰り返して言っているのは、いかに精神が奮い立ったかよく示しています。王は何とかして敵を自分の手で打ちたいと願ったのです。そのようにするのは王として相応しく思えたからでしょう。ここでイスラエル王が『わが父よ。』とエリシャに言っているのは、王が父であるかのようにエリシャに聞き従うべきだったからです。何故なら、エリシャは『神の人』であり、神が共におられたからです。ですから、エリシャに聞き従うのは、神に聞き従うこととなるわけです。このため、イスラエル王はまずエリシャの言葉を聞いてから打とうと思ったわけです。王でさえ神の人には聞き従うべきでした。