聖書の学び

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Ⅱ列王記7:17~20(2025/07/19)

【7:17~20】
『王が神の人のところに下って行ったとき話した神の人のことばのとおりであった。神の人が王に、「あすの今ごろ、サマリヤの門で、大麦二セアが一シェケルで、上等の小麦粉一セアが一シェケルで売られるようになる。」と言ったとき、侍従は神の人に答えて、「たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか。」と言った。そこで、彼は、「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。」と言った。そのとおりのことが彼に実現した。民が門で彼を踏みつけたので、彼は死んだ。』
 侍従が民に踏まれて死んだのは、エリシャが先日に話していた通りのことでした。ここではそのことが確認のため詳しく書かれています。どうして聖書はこのことをここで確認しているのでしょうか。それは神の人エリシャが本当に用いられていたことを示すためなのでしょう。エリシャには神が共におられ、エリシャは神において何かを語っていました。ですから、その語ることはことごとくその通りになったのです。これは用いられている神の人でなければ考えにくいことなのです。また神の全能を否定することが、どれだけ愚かで酷いのか示す目的もあるはずです。私たちは、この箇所で言われていることを心に留めるべきでしょう。誰もこの不遜な侍従のようになってはいけません。もしそうなれば、その不遜が神から死をもって罰されることにもなるのです。侍従のような不信仰は神に喜ばれません。それは、「信仰がなくては神に喜ばれることができません。」と聖書に書かれている通りです。