聖書の学び

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【ソロモン塾】箴言註解~序文~

これまで「Ⅱ列王記」の聖書注解を、ずっと書き続けていた。しかし、途中で記述が止まり、それからは、その止まった状態が続いていた。書き続けるつもりでいたが、気付いたら休止していたのだ。それも、また御心だったことになる。何事も神の御心でなければ、起こることも、続くこともないからである。だが、また聖書注解を書き始めることとした。これから書くのは、以前の「Ⅱ列王記」ではなく「箴言」となる。この書の註解は、前からずっと書きたいと思っていた。これを書くようになるのも、また神の御心だったことになる。

 

まず、この註解文書の名前を「ソロモン塾」とすることにしたい。箴言でソロモンから神の英知を教えられるのは、正に塾といった感じになるだろうからである。すなわち、ソロモンが神から受けたその英知の御言葉により、我々を教える。我々は塾生として、その教えを謹んで学ぶわけである。註解文書に何か名前を付けるというのは、悪いこと、また間違ったことでもない。異常な名前を付けない限りは、確かにそうである。

 

注解の内容としては、じっくりと書きたいと思う。そのほうが益も大きいと考えるからである。最初から全てを完了させるまで、ソロモンの英知をよく学べればと思っている。もっとも、重複した内容については省略することもあるだろう。また、原語(ヘブル語)から見ていくというよりは、聖書全体との関わりを意識して書くことにしたい。アウグスティヌスも、そのようなやり方をしていた。そのようにすれば、箴言から聖書全体を眺め、またその逆に聖書全体から箴言を眺める、ということがよくできるようになるだろう。

 

この「箴言」の巻から学ぶ益と意義は、どのようなものだろうか。それは我々の人生と生活に実際的・実践的な効能が生じることである。つまり、御言葉により、我々はより良い歩みをすることができるようになる。この巻は、福音書やパウロの書簡と異なり、キリストによる救いを与えるという目的が感じられにくいかもしれない。この巻は、寧ろ既にキリストの救いを受けた神の子らが、より整えられた英知ある歩みを得るために役立つ聖なる指針だと考えたらよいと思われる。しかし、この巻は既に救われた聖徒でない者たちに対しても、益することが大きいことは疑えない。何故なら、ソロモンは全人類に共通する普遍的な知恵と英知を語ったのだからである。実際、この巻にも収められている箴言をソロモンが語った際は、神の子らでない異邦人たちも、その教えを何とか学ぼうとしてイスラエルの地に遠くから訪れたのである。その驚くべき英知が当時の周辺諸国に鳴り響いたことからも、この巻が神の子ら以外の者たち、人類全体に対しても有益であることは間違いない。