『これは、知恵と訓戒とを学び、悟りのことばを理解するためであり、』(1:2)
「知恵」
「知恵」とは、何のことを言っているのだろうか。ソロモンは、この箴言で「知恵」という言葉を実に多く使っている。これは知恵の全般と捉えればよいであろう。すなわち、神を恐れるという霊的な知恵も、生活面に益をもたらす実際的な知恵も、ソロモンは「知恵」という言葉の中に纏めている。これを霊的な知恵だけとか、あるいは生活面の知恵だけに限定するのは、適切でないと思われる。
「訓戒」
「訓戒」とは、どういう意味の訓戒だろうか。先に見た「知恵」ほどではないものの、こちらも箴言で普通に使われる言葉である。こちらは、聖書における神の訓戒として捉えるのが相応しいと思われる。神は聖書において御自分の子らに訓戒をお与えになる。だから、聖書は我々に対する訓戒の書でもある。使徒パウロはこう言った。「聖書は全て神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」我々はこの聖書から神の訓戒を受け、より良い歩みをする者へと整えられるのである。
「知恵と訓戒とを学び、」
この巻は、今述べた「知恵と訓戒とを学」ぶために書かれた。我々は、この巻により、諸々の知恵と訓戒を弁えた者とされる。神の英知がソロモンの言葉を通して我々に入り込み、知性を根本的に高めるからである。こうして我々からは愚かさと無知が取り除かれる。だから、この巻を豊かに体得した者は、優れた知者となるであろう。
「悟りのことば」
これは何のことだろうか。聖書から考えれば、これは律法をはじめとした神の御言葉である。神の御言葉は、まさしく「悟りのことば」だからである。実際、聖書は律法を悟しの言葉だと呼んでいる。申命記6:17。「あなたがたの神、主の命令、主が命じられたさとしとおきてを忠実に守らなければならない。」これを何か単なる諺とか人間的な知恵として解するのは、適切だと思えない。
「理解するためであり、」
この通り、この巻により、我々は神の御言葉を「理解する」ことができる。律法をはじめ御言葉で何が言われているのか、またどのような御心にそれは基づいているのか、といった事柄をよく弁えられるようになる。特に、倫理や道理に関する面で、このように言える。ソロモンはこの2つについて特に多くの箴言を語ったからである。これは、ちょうどそれまではもやもやした霧で見えにくかった風景が、強い風が吹いたためよく識別できるようになるのと似ている。この巻に書かれたソロモンの言葉は神の英知であるから、我々を神の知性にまで高める。すると、神が御言葉で言われたことを、しっかりと理解できるようになるのだ。この書を学ぶ度合いが深いほど、それだけ「理解する」度合いも深まることは間違いない。