聖書の学び

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Ⅰ列王記2:16~19(2023/07/08)

【2:16~18】
『今、あなたに一つのお願いがあります。断わらないでください。」彼女は彼に言った。「話してごらんなさい。」彼は言った。「どうかソロモン王に頼んでください。あなたからなら断わらないでしょうから。シュネム人の女アビシャグを私に与えて私の妻にしてください。」そこで、バテ・シェバは、「よろしい。私から王にあなたのことを話してあげましょう。」と言った。』
 アドニヤがソロモンに頼もうとしていたのは、かつてダビデに仕えていたあの『アビシャグ』を妻にすることでした。アビシャグはダビデの召使い女でしたから、王家では誰でも知っていたと思われます。しかし、どうしてアドニヤはこのアビシャグと結婚したかったのでしょうか。それはアビシャグが絶世の美女だったからでしょう。つまり、アドニヤはアビシャグの美貌に心を奪われていたのです。アビシャグはただの一般人に過ぎなかったはずです。つまり、普通の民衆だったのにダビデの召使い女として採用されていました。ですから、アドニヤが何か政略からアビシャグと結婚しようとしたのではなかったはずです。もしアビシャグが王家と血縁関係を持っていたとすれば、話は別だったかもしれません。しかし、聖書はアビシャグの出自について何も述べていません。アドニヤはこのことを自分からソロモン王に頼むのであれば、上手く行かないと思っていたのです。だからこそ、アドニヤはソロモンの母にこのことを頼もうとさせたわけです。というのも、母であればその言うことを聞くのが人間にとって自然なことだからです。これは私たちの経験からもよく分かるはずです。

 

 このような願いを聞いたバテ・シェバは、アドニヤの願いを快く引き受けます。バテ・シェバはアドニヤの願いが悪いことでないと判断したのです。もし悪いことだと判断したならば、どうしてその願いを引き受けたのでしょうか。バテ・シェバがアドニヤの願いを引き受けたのは、アビシャグに自分を重ね合わせたからである可能性もあります。何故なら、王族である者が非常に美しい一般人を妻として求めたという点で、王であったダビデがバテ・シェバを求めたのと、王子であったアドニヤがアビシャグを求めたのは、全く一緒だからです。もしダビデがバテ・シェバを求めていなければ、間違いなく今のバテ・シェバはありませんでした。ですから、アドニヤとその願いに強く感じるところがあったからこそ、バテ・シェバは快諾した可能性が高いのです。あくまでも推測に過ぎませんが、バテ・シェバはアドニヤのうちにダビデを見ていたのかもしれません。ここまではアドニヤの思い通りに事が進みました。しかし、最初が良くても悪い結果となるならば何も意味はありません。それならばスタート時点で悪くても良い結果に至るということのほうが優っています。

 

【2:19】
『バテ・シェバは、アドニヤのことを話すために、ソロモン王のところに行った。王は立ち上がって彼女を迎え、彼女におじぎをして、自分の王座に戻った。王の母のためにほかの王座を設けさせたので、彼女は彼の右にすわった。』
 バテ・シェバがアドニヤの願いを叶えるべくソロモン王のもとに行くと、ソロモンは母を丁重に迎えました。ソロモンがこのように出迎えるのは恐らくバテ・シェバだけだったはずです。もしダビデがまだ生きていれば、ソロモンはダビデにもこのような類の応じ方をしていたことでしょう。

 

 ソロモンがこのように母を迎えたのは、『あなたの父と母を敬え。』という律法に適っています。この時のソロモンはダビデの遺言通り、神の戒めにしっかり従っていたのです。この通り、王であっても神とその戒めにはしっかり従う必要があります。何故なら、神とは王の王であられる御方だからです。王が国家において最高の存在だったとしても、神の御前においては1人の僕に過ぎないのです。