聖書の学び

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Ⅰ列王記18:16~18(2024/05/21)

【18:16~17】
『そこで、オバデヤは行ってアハブに会い、彼に告げたので、アハブはエリヤに会うためにやって来た。アハブがエリヤを見るや、アハブは彼に言った。「これはおまえか。イスラエルを煩わすもの。」』
 エリヤは自分で言った通り、しっかりとアハブに会いました。エリヤは、人間的な思いからすれば、アハブと会いたくなかったかもしれません。エリヤと同じ状況を持つ人がいたとして、どこの誰がアハブに会いたいと思うでしょうか。何故なら、それは死を求めるのも同然だからです。しかし、エリヤは人間的な思いがどうであれ、必ずアハブに会わねばなりませんでした。それは神が『アハブに会いに行け。』と命じられたからです。エリヤがアハブに会ったのは、オバデヤを安心させアハブから守る目的もあったでしょう。しかし、それは第二次的な目的に過ぎませんでした。言うまでもなく第一次的な目的は、エリヤがアハブに会うことそのものでした。つまり、オバデヤがどうなるにせよ、とにかくエリヤはアハブに会わねばなりませんでした。この通り、エリヤは自分の言った通りにしました。偽りのない神の御言葉を告げる預言者は、その行ないにおいて偽りがあってはならないのです。つまり、預言者の行ないはどれも純粋かつ誠実でなければなりません。ですから、エリヤはこのように、自分が言った通りアハブに会ったわけです。

 

 アハブがエリヤに会うと、何の挨拶もしませんでした。挨拶とは親交の始まりです。アハブにとってエリヤは嫌な人物でした。だからこそ、アハブはエリヤに会っても挨拶の言葉を発しなかったのです。それどころかアハブはまずエリヤに『イスラエルを煩わすもの』と言います。エリヤの言葉によりイスラエルは雨が降らなくなりました。このため、アハブはエリヤが雨を降らせなくなったとしか思えませんでした。ですから、アハブはエリヤが『イスラエルを煩わすもの』としか思えなかったのです。神の預言者に会っていきなりこういったことを言うのは、良くないことです。これはアハブが邪悪な者だったからに他なりません。邪悪な者の口は邪悪だからです。邪悪な者の口は呪われているため、その言うことも邪悪となるわけです。

 

【18:18】
『エリヤは言った。「私はイスラエルを煩わしません。』
 アハブに『イスラエルを煩わすもの』と言われたエリヤは、その言葉を『私はイスラエルを煩わしません。』と言って打ち消します。確かにエリヤはイスラエルを煩わしていませんでした。何故なら、イスラエルに飢饉が生じた原因はエリヤのうちに無かったからです。もしイスラエルがエリヤ一人しかいない場所だったとすれば、もしくはイスラエルの人々が全てエリヤのような者たちだったとすれば、イスラエルに飢饉は生じていなかったでしょう。もしアハブの言った通りエリヤがイスラエルを煩わしていたとすれば、エリヤだけでなく神もイスラエルを煩わしておられたことになります。何故なら、神はエリヤの言葉を通してイスラエルが飢饉となるようにされたからです。