聖書の学び

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Ⅰ列王記8:43(2023/11/08)

【8:43】
『そうすれば、この地のすべての民が御名を知り、あなたの民イスラエルと同じように、あなたを恐れるようになり、私の建てたこの宮では、御名が呼び求められなくてはならないことを知るようになるでしょう。』
 遠くから宮までやって来た異邦人の祈りも聞かれるのは、大きな意味がありました。それは異邦人たちと秩序のためです。つまり、何も実際的な効果が齎されないにもかかわらず、異邦人の祈りが聞かれるというのではありませんでした。ここで言われている『この地のすべての民』とは、イスラエルの地にいる全ての異邦人を指します。異邦人たちの祈りも神が聞いて下さるならば、『この地のすべての民が御名を知』るようになります。これは異邦人も神を真実な御方として強く感じるということです。こうなれば異邦人たちも『イスラエルと同じように』神『を恐れるようになり』ます。何故なら、異邦人の祈りさえ聞いて下さるような偉大で恵み深い神を恐れるべきであるのは明らかだからです。すると、異邦人たちも『宮では、御名が呼び求められなくてはならないことを知るようにな』ります。祈りを聞いて下さる恐れられるべき神が呼び求められねばならないというのは、わざわざ説明するまでもないことだからです。イスラエルに神的な秩序と平和が保たれるためには、どうしてもこのようになる必要がありました。もし異邦人たちは神を尊ばないとすれば、イスラエルの共同体が霊的に妨げられてしまいます。何故なら、そこにおいて為すべきことをしないような人々がいるのだからです。こうなればイスラエル人たちでさえ異邦人の不敬虔な振る舞いから悪い影響を受けてしまうでしょう。何故なら、ソロモンが言ったように『鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる。』のだからです。冷水と一緒になった温水が冷めるように、共にいる人間が影響を齎さずにいることはありません。ですから、イスラエルの地にいる異邦人たちもイスラエル人のように敬虔な態度を持つため、異邦人の祈りも神は聞き入れて下さったのです。