聖書の学び

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Ⅱサムエル24:15~16(2023/06/15)

【24:15】

『ダンからベエル・シェバに至るまで、民のうち七万人が死んだ。』
 こうして神は、ダビデが人口調査させた『ダンからベエル・シェバに至るまで』にいたイスラエル人を、疫病で打たれました。ダビデが調べさせたのと同じ地域にいる人々が死んだのは、ダビデに思い知らさせるためでした。この通り、罪と罪に対する罰は対応しているものです。この罰により『民のうち七万人が死』にました。これは実際の死者数ですが、「7」とありますから、この罰が完全であるということも示しているはずです。死んだ『七万人』の内訳については分かりません。これほどの人々が神罰で死んだのは、かなりのことです。このような大きな災いが下されたのは、ダビデの犯した罪が実に大きかったからです。ダビデは自分の犯した罪ゆえ、このような悲惨を味わうこととなりました。もし罪を犯していなければ、こんな苦しみは味わわずに済んだのです。このことから、私たちは罪を犯すことがどれだけ重大であるかよく悟るべきでしょう。

 

【24:16】
『御使いが、エルサレムに手を伸べて、これを滅ぼそうとしたとき、主はわざわいを下すことを思い直し、民を滅ぼしている御使いに仰せられた。「もう十分だ。あなたの手を引け。」主の使いは、エブス人アラウナの打ち場のかたわらにいた。』
 神は、疫病の罰を、『御使い』に下させておられました。つまり、御使いは害あるウィルスが人々に注がれるよう力と自由を神から受けていました。この御使いは、神の御心に基づき、人々に疫病を注いでいたのです。御使いとは、霊的な被造物であり、物質的な身体を持っていません。しかし、御使いはこの通り物質界に働きかけることが出来るのです。疫病を注いでいたこの御使いがどのような名前だったかは分かりません。また、この『御使い』はキリストとして解することも出来ます。

 

 この御使いは、エルサレム以外の場所にまず疫病を下していたようです。そして、遂に『エルサレムに手を伸べて、これを滅ぼそう』とするに至りました。エルサレムを最も後で滅ぼそうとしたのかもしれません。それまで『三日間』、このエルサレムには手が下されていませんでした。しかし、その時に神は『わざわいを下すことを思い直し』たので、この御使いに働きを止めるよう命じました。御使いは当然ながらこの命令に聞き従います。これはエルサレムダビデがいたからでしょう。先に見た通り『主のあわれみは深い』(Ⅱサムエル24章14節)ので、主の僕であるダビデまで疫病により打たれるということはありませんでした。もし神が御使いにストップさせなければ、ダビデも疫病で死んでいた可能性が十分にありました。

 

 神が罰を止めさせた時、『主の使いは、エブス人アラウナの打ち場のかたわらにいた』のですが、『エブス人』とはエルサレムの原住民ですから、これはエルサレムの場所だったはずです。御使いはエルサレムにも疫病を注ごうと、エルサレムにまでやって来ました。しかし、そこで神からストップがかかったので、疫病の注ぎを止め、ずっとそこにいたわけです。