聖書の学び

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Ⅰ列王記18:3~4(2024/05/16)

【18:3~4】
『アハブは王宮をつかさどるオバデヤを呼び寄せた。―オバデヤは非常に主を恐れていた。イゼベルが主の預言者たちを殺したとき、オバデヤは百人の預言者を救い出し、五十人ずつほら穴の中にかくまい、パンと水で彼らを養った。―』
 アハブが『オバデヤを呼び寄せた』のは、後の箇所で見る通り、共に仕事をするためです。この『オバデヤ』は『王宮をつかさどる』人物でしたから、かなりの地位を持つ者だったはずです。彼は、エゼキエルやダニエルと同時代人である預言者オバデヤと違う人物です。名前は一緒ですが、預言者であるオバデヤはずっと後になってから生まれる人です。

 

 この『オバデヤは非常に主を恐れていた』のですが、これはつまり主を何よりも第一にしていたということです。オバデヤは自分や王よりも主を上に位置付けていました。ですから、神はオバデヤにとって絶対の存在でした。ここでオバデヤが『非常に』主を恐れていたと書かれている通りです。この時代のイスラエルは、上から下まで神を恐れない不敬虔な者ばかりでした。しかし、このオバデヤのように例外的な者も存在していたのです。その時代の状況がどうであれ、聖徒はオバデヤのように神を恐れねばなりません。神を恐れるのは神に喜ばれることです。そのようにする者は神の御心に適うことができるでしょう。

 

 ここで書かれている『イゼベル』は、先に見た通りアハブの妻であり、汚れた異邦人でした。彼女は不敬虔な偶像崇拝者でした。このイゼベルは神に敵対していましたから、神に属する預言者たちにも敵対していました。この時代のユダヤには『主の預言者たち』が多くいました。その数は数百人の単位または数千人の単位でした。つまり、神がこの時代に多くの預言者を立てておられたのです。イゼベルは邪悪な者でしたから、この預言者たちを虐殺しました。神を憎む者は、神に属する者をも憎むからです。このような虐殺は忌まわしいことでした。彼女がサタンに動かされていたことは間違いありません。しかし『オバデヤは非常に主を恐れていた』ので、この虐殺の際、『百人の預言者を救い出し、五十人ずつほら穴の中にかくまい、パンと水で彼らを養』いました。オバデヤの持つ神への恐れが、このような行ないにおいて現われ出たのです。このような善は神の御心に適っていました。この時にオバデヤは『百人』の預言者を救い出しましたが、これが殺された預言者に対しどのぐらいの比率だったかまでは書かれていません。この100人の預言者を『五十人ずつ』ほら穴の中にかくまったのは必要からだったでしょうが、2つのほら穴がどこにあったかまでは書かれていません。このようにしてオバデヤが『パンと水で彼らを養った』のは、オバデヤに多くの財産または高い地位があったからでしょう。こういったオバデヤの記録されるべき善は、邪悪なイゼベルに妨げられませんでした。神がオバデヤおよび100人の預言者たちを御恵みにより守られたからです。もし神の御恵みが無ければ、オバデヤと100人の預言者たちもイゼベルの怒りにより虐殺されていたかもしれません。