聖書の学び

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Ⅱサムエル24:21~24(2023/06/17)

【24:21】
『アラウナは言った。「なぜ、王さまは、このしもべのところにおいでになるのですか。」そこでダビデは言った。「あなたの打ち場を買って、主のために祭壇を建てるためです。神罰が民に及ばないようになるためです。」』
 ダビデを出迎えたアラウナは、当然ながらダビデが何をしにやって来たのかと尋ねます。彼はダビデがどのような理由から来たのか全く分からなかったからです。ネロのような支配者でもない限り、無思慮にだったり暇だったりするからというので出かける支配者はいません。ダビデはアラウナに対し、神罰が止むためアラウナの地所を買い取りに来たと答えます。ダビデは神の命令ゆえ、どうしてもその場所で祭壇を建てねばならなかったのです。もしそうしなければダビデは神に背くこととなるのです。

 

【24:22~23】
『アラウナはダビデに言った。「王さま。お気に召す物を取って、おささげください。ご覧ください。ここに全焼のいけにえのための牛がいます。たきぎにできる打穀機や牛の用具もあります。王さま。このアラウナはすべてを王に差し上げます。」アラウナはさらに王に言った。「あなたの神、主が、あなたのささげ物を受け入れてくださいますように。」』
 ヴォルテールもそうでしたが、権力者を愛好する人は少なくありません。アラウナもそのような者の一人だったかもしれません。またアラウナは恐らく神を尊んでいたことでしょう。そして、イスラエルの国家を蔑ろにもしていなかったはずです。ですから、アラウナは、犠牲に使う物も全て含めて地所を差し上げると申し出ます。この申し出が異常だったとは思えません。神と王と国家を尊ぶ者であれば、誰でも喜んでこのようにするはずだからです。尊ぶ度合いが強ければ強いほど、そうです。ダビデは王でしたから、アラウナが全てをダビデに無料で差し出せば、大きな見返りがあることは明らかでした。しかし、アラウナはそのような見返りを考えず、純粋な心から差し出そうとしたはずです。アラウナがそのような者だったからこそ、御使いもアラウナの地所に留まっていたと考えられるからです。もしアラウナが邪な者であれば、御使いはそのような者の所有地にずっと留まっていなかったと思われます。

 

【24:24】
『しかし王はアラウナに言った。「いいえ、私はどうしても、代金を払って、あなたから買いたいのです。費用もかけずに、私の神、主に、全焼のいけにえをささげたくありません。」そしてダビデは、打ち場と牛とを銀五十シェケルで買った。』
 ダビデはアラウナの申し出を拒み、自分自身で地所とそこにいる牛を買い取りたいと言います。このように言われたアラウナがどう反応したかは分かりません。しかし、ダビデがアラウナの地所と牛を実際に買ったことから考えれば、アラウナはすんなりダビデの求めに応じただろうと思われます。ここでは地所と牛を『銀五十シェケル』で買ったと書かれていますが、Ⅱ歴代誌21:25の箇所では『金のシェケルで重さ百シェケルに当たるもの』で買ったと書かれています。ダビデがこのようにしたのは正しいことでした。この時のダビデは自分自身で犠牲を持って来たアベルのようでした。もしダビデがアラウナに言われるままアラウナの物を捧げていたとすれば、それはカインのようだったのです。

 

 私たちもこのダビデのようにすべきでしょう。つまり、神に対して誠実であるべきだということです。不正をしたりいい加減な態度であれば神に喜ばれることはできません。