聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記16:27~31(2024/04/30)

【16:27】
『オムリの行なったその他の業績、彼の立てた功績、それはイスラエルの王たちの年代記の書にしるされているではないか。』
 『イスラエルの王たちの年代記の書にしるされている』オムリの記録は、その治世が『十二年間』(Ⅰ列王記16章23節)でしたから、それなりの量があったと考えられます。オムリの記録には『功績』もありました。オムリは『彼以前のだれよりも悪いことをした』(Ⅰ列王記16章25節)のですが、しかし立派なことも成し遂げていました。その『功績』がどういった内容だったかは分かりません。また、それがどのぐらいあったのかも分かりません。

 

【16:28】
『オムリは彼の先祖たちとともに眠り、サマリヤに葬られた。』
 こうしてオムリは死に、『サマリヤに葬られ』ました。オムリはサマリヤに葬られた最初のユダヤ王となりました。それまでの王すなわちイスラエル王は、ティルツァに葬られていました。そこに王宮がありましたから、そこで葬られるのは自然なことだったのです。

 

【16:28~29】
『彼の子アハブが代わって王となった。オムリの子アハブは、ユダの王アサの第三十八年に、イスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリヤで二十二年間、イスラエルの王であった。』
 オムリが死ぬと、『彼の子アハブが代わって王とな』りました。このアハブはイスラエル王国における第7代目の王であり、サウルから数えれば第10代目となります。聖書では「7」も「10」も良いことを示す数字です。しかし、このアハブにおける7と10には何も特別な意味がないはずです。アハブは『ユダの王アサの第三十八年に』イスラエル王となりましたが、この「38」という数字に象徴性はありません。アハブは王として『二十二年間』の職務に就きましたが、この「22」にも象徴性はありません。これは分解して意味を見出すこともできません。「11」かける「2」であれば、どうでしょうか。そもそも聖書において「11」は意味がありませんから、この分解は不可能となります。これが駄目であれば、他の仕方で分解することはできません。

 

【16:30~31】
『オムリの子アハブは、彼以前のだれよりも主の目の前に悪を行なった。彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。』
 既に見た通り、オムリはそれまでで最悪に罪深い王でした(Ⅰ列王記16:25)。しかし、オムリの子アハブは、このオムリよりも罪深い王でした。つまり、最悪に堕落していたオムリでさえ、アハブの堕落性には敵いませんでした。オムリの場合、『彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み』(Ⅰ列王記16章26節)と言われているだけでした。ところがアハブの場合、『彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった』と書かれています。オムリの場合はこのように書かれていません。つまり、オムリであればヤロブアムの罪のうちを歩むことは少なくとも『軽いこと』ではありませんでした。このことから、アハブがどれだけ罪深かったかよく分かります。悪性の極めて強い呪われた王が、このアハブだったのです。