聖書の学び

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Ⅰ列王記17:1(2024/05/03)

【17:1】
『ギルアデのティシュベの出のティシュべ人エリヤはアハブに言った。』
 あのエリヤは、ここで初めて登場します。これまでの箇所では、エリヤが現われる前触れのようなことさえ書かれていませんでした。このエリヤは、多くの預言者の中で最大の預言者です。これは福音書から分かることです。キリストが山上で変貌された際、そこにモーセとエリヤが現われたからです。モーセは律法を象徴しており、エリヤは預言の象徴です。多くの預言者の中で、神はこのエリヤ一人を預言者の代表として選ばれたのです。ですから、エリヤこそ預言者の中で最大の人物だったことは間違いありません。このエリヤはイスラエルの東部地域である『ギルアデ』の人でした。そこにある『ティシュべ』という場所がエリヤの出身地です。このティシュべはガド族の相続地でしたから、エリヤもガド族だったと思われます。このティシュべからサマリヤまでは50~60kmほど西に離れています。ティシュべからサマリヤへと行くためには、ヨルダン川を西に渡らなければなりません。これはティシュべからエルサレムへと行く場合も同じです。このティシュべは、エルサレムやサマリヤやティルツァに比べれば何でもないような場所だったでしょう。しかし、神は最大の預言者であるエリヤを、このティシュべから起こされました。偉大な存在が取るに足らない場所から出たり、そのような場所に住んでいたりする。これが神のやり方なのです。主も、ナザレというほとんど注目されない町で過ごされました。アウグスティヌスのいたアフリカのヒッポも、もしそこにアウグスティヌスがいなければ誰も言及しないような場所でした。これは神が不思議なことを為される御方だからです。そのため、神は御自分のことを『不思議』であると言われたのでした。

 

『「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」』
 エリヤがアハブに宣告しています。すなわち、エリヤはアハブに対し、イスラエル王国に露と雨が降らなくなると宣告しました。これはイスラエルがずっと罪深い歩みを続けていたことに対する呪いでした。もし神に背くならばこういった自然の悲惨が起こると律法では示されています。何故なら、神に背くような者たちが神から御恵みを受けられなくなるのは当然だからです。このような呪いが『二、三年』続くと言われたのは、呪いが確認されるためです。聖書において「2」と「3」が確認の意味を持つというのは、もう既に述べたことです。もしこれが「1年」だけであれば、これから露と雨が降らなくても、そこに確認の意味は生じなくなります。またエリヤが『私のことばによらなければ』と言ったのは、エリヤの言葉により露と雨の有無が決まるということです。神はエリヤの言葉を呪いにおける言わば発動スイッチ(また停止スイッチ)とされました。これはエリヤが神に仕える敬虔な僕だったからです。エリヤ自身が自分は神に『仕えている』と言っている通りです。

 

 『私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。』と言われているのは、絶対にそうなるという誓いの言葉です。誓う際はこのようなことを言うのが古代ユダヤ人のやり方でした。このように言う際は、いつでも言う言葉が全く同一だったということはなく、少しの違いがありました。例えば、単に『主は生きておられる。』とだけ言う場合も珍しくありませんでした。このような誓いの定型句については、もう既に詳しく説明した通りですから、ここでまた繰り返す必要はないでしょう。