聖書の学び

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Ⅰ列王記16:33~34(2024/05/02)

【16:33】
『こうしてアハブは、彼以前のイスラエルのすべての王たちにまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行なった。』
 ヤロブアムの邪悪性を遥かに越えていただけでなく、バアル崇拝を国内に持ち込みアシェラ像まで造ったアハブは、『彼以前のイスラエルのすべての王たちにまして、ますますイスラエルの神、主の怒りを引き起こすようなことを行な』いました。ヤロブアムもナダブもバシャもエリもジムリもオムリも、アハブほどに邪悪ではありませんでした。これまでで最低最悪の王がこのアハブだったのです。これはドイツにヒトラーという支配者が出たのと似ているかもしれません。しかし、このアハブはイスラエル王国に自然発生したのでなく、神がアハブをイスラエル王国に王として立てられたのです。それはイスラエルがずっと罪深い歩みを続けていたからでした。つまり、神は罪深いイスラエルに対する復讐として、邪悪なアハブ王を与えたのです。ですから、アハブの存在は、この頃のイスラエルがどれだけ罪深かったかよく示しています。私たちも罪深いのであれば、アハブのような支配者が国に与えられることとなるかもしれません。しかし、そうなったとしても、それは私たちの罪深さが原因ですから自業自得なのです。

 

【16:34】
『彼の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを再建した。彼は、その礎を据えるとき、長子アビラムを失い、門を建てるとき、末の子ゼグブを失った。ヌンの子ヨシュアを通して語られた主のことばのとおりであった。』
 これまであのエリコはずっと荒れ果てたままの状態でした。つまり、エリコを再建しようとする者は誰もいませんでした。それはエリコが神の働きかけにより荒廃したからです。エリコが荒れ果てていたのは、だいたい400~500年ぐらいだったはずです。しかし、アハブの頃になると、『ベテル人ヒエルがエリコを再建し』ました。『ベテル』はエリコから20~30kmほど北西に離れています。このヒエルは『その礎を据えるとき、長子アビラムを失い、門を建てるとき、末の子ゼグブを失』いましたが、これはかつて主が宣告しておられた通りのことでした。『礎を据えるとき、長子アビラムを失』ったのは、礎が第一に造られるように長子も第一に生まれるからです。『門を建てるとき、末の子ゼグブを失った』のは、門と末の子が順序的に共通しているからなのでしょう。『長子』と『末の子』の中間である子たちは、失われなかったようです。このような悲惨をヒエルが受けたのは、エリコを荒廃されたのが神だったからです。エリコが荒れ果てることとなったのは、明らかに神の御業によりました。そのようなエリコを再建するというのは、神の御業を蔑ろにすることです。そういったことをする者が、悲惨を受けるのは当然のことなのです。もしヒエルがエリコを再建しなければ、2人の子を失うこともなかったでしょう。もしヒエルでない者がエリコを再建したとすれば、その者の子たちが失われていたことでしょう。しかし、このヒエルがエリコを再建することこそ主の御心でした。それはこのヒエルに呪いが注がれることで、神の語られた御言葉における真実性がまざまざと示されるためでした。