聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記2:2~3(2023/07/03)

【2:2】
『強く、男らしくありなさい。』
 ダビデはまずソロモンが『強く、男らしく』あるように命じます。王が強く男らしくなければ、しっかりした統治は難しいだろうからです。王のような指導者ほど強く男らしくあることが求められている存在はあまりいません。この命令は、神がヨシュアに命じられたのと同じ内容でした。神はヨシュアにこう言われたのです。『強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。』(ヨシュア記1章9節)このヨシュアも、ソロモンと同じで全イスラエルを統導する最高指導者でした。私たちも『強く、男らしく』あるべきです。地位や権力が高ければ高いほど、そのようであるべき度合いは高まります。軟弱な指導者は蔑ろにされたり非難されたりするのが常だからです。

 

【2:3】
『あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道に歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。』
 続いてダビデはソロモンが必ず神の御命令を遵守するように命じます。ダビデはそのようにするならば他の事柄を蔑ろにしても構わないとでも言おうとするかのようです。それというのも、神に従うことこそ人間の本分だからです。伝道者の書12章でも『神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。』と書かれています。実に人間が神に従わず背いたからこそ、人間は堕落して悲惨な状態となったのです。この命令も神がヨシュアに命じられたのと同じ内容です(ヨシュア1:7)。

 

 ソロモンが神の命令に聞き従うのであれば、『何をしても、どこへ行っても、栄える』ことができました。それは神が御自分に聞き従う者を祝福して下さるからです。このため、箴言の箇所ではこう言われているのです。『謹んで御言葉を行なう者は栄える。』私たちは自分の子や部下などが良い働きをしたならば、褒めたり良くしてやったりするでしょう。神が御自分に聞き従う者を祝福して栄えさせて下さるのは、これとよく似ています。これもやはり神がヨシュアに命じられたのと同じ内容です(ヨシュア1:7~8)。私たちも、神の命令に聞き従うべきです。そうすれば私たちも神に祝福されて栄えることができます。神はソロモンの時代に敬虔な者を祝福されたのと同様、今の時代でもそのようにして下さいます。何故なら、神は決して変わることのない御方だからです。それゆえ、使徒ヤコブはこう言ったのです。『このような人は、その行ないによって祝福されます。』

 

 ダビデがここで『主のおきて』とか『命令』とか『定め』などと言っているのは、どれも全て神の律法を指しています。つまり、ダビデは一つの律法を、複数の言葉で言い表しています。このような語り方また書き方は、聖書において珍しくありません。ここでダビデが律法を示すために述べている言葉は、数えてみると全部で「7」あることに気付きます。すなわち、『あなたの神、主の戒め』(1)、『モーセの律法』(2)、『主のおきて』(3)、『命令』(4)、『定め』(5)、『さとし』(6)、『主の道』(7)です。このようにカウントしてよいとすれば、ダビデはここで律法の完全さまた神聖さを示しているのです。聖書で何か意味なく書かれたとか偶然に書かれた箇所などはありません。ですから、ここで律法を示す言葉として7つがカウントできるというのであれば、それは象徴的な書き方であると考えたほうがいいのです。