【1:53】
『それから、ソロモン王は人をやってアドニヤを祭壇から降ろさせた。彼がソロモン王の前に来て礼をすると、ソロモンは彼に言った。「家へ帰りなさい。」』
ソロモンはアドニヤの嘆願でなく善悪を考えていたので、とりあえずアドニヤを祭壇から離れさせ、自分のもとに連れて来させます。するとアドニヤは王の前に導かれたので『礼を』します。アドニヤは恐怖と屈辱の入り混じった礼をしたに違いありません。ソロモンはアドニヤのうちに悪を見出しませんでした。少なくともこの時はそうでした。ですから、アドニヤに何もせず、彼を家へと帰らせました。もしアドニヤに何か悪があれば、ソロモンは家に帰さず、その場で殺し罰していたことでしょう。
【2:1~2】
『ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように言いつけた。「私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。』
ダビデはキリストを予表する神から特別に選ばれた器でしたが、他の人と同じで罪人だったので、『死ぬ日が近づい』ていました。ダビデが『私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。』と言ったのは、死を人類に共通の運命として受け入れていたからでしょう。またダビデがこのように言ったのは、自分の死が間もなく訪れると知っていたからなのでしょう。自分がもうすぐ死ぬ頃になると、人はそのことが分かるものなのです。手塚治虫も、胃癌であることを医者から告げられず隠されたままでしたが、自分がもうすぐ死ぬことになると感じていたようです。実際はどうだったか分かりませんが、ダビデも何らかの病により衰弱し、死ぬことを悟っていたのかもしれません。
死ねばもう誰にも何であれ話すことが不可能となります。この時のダビデは『死ぬ日が近づい』ていたのですから、死ぬ前に、ソロモンに遺言を与えようとしました。その遺言はここから2章9節目までに書き記されています。ダビデがこのソロモン以外の子にも何か個別的な遺言を与えたのかどうかは分かりません。ダビデがそのようなことをした可能性は十分にあります。しかし、聖書はただソロモンに対する遺言のことしか書き記していません。