聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記3:5~6(2023/07/18)

【3:5】
『その夜、ギブオンで主は夢のうちにソロモンに現われた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」』
 ソロモンが生贄を捧げたのは、神の御心に適っていました。ソロモンは偽りの心からでなく、本当に敬虔な思いから生贄を捧げたはずだからです。ソロモンが捧げた生贄に、傷や病気を持った個体もいなかったはずです。何故なら、先に見た通りソロモンは『主を愛し』(Ⅰ列王記3章3節)ていたからです。神は律法で、傷や病気持ちの個体を捧げるなと言っておられます。ソロモンがこのような生贄を捧げたので、神はソロモンの願いを叶えることにされました。ソロモンは神の望み通りのことをしました。ですから、神もソロモンの望み通りのことをして下さるのです。というのも、神とは私たちに対し報いられる御方だからです。預言者の書に『あなたがしたようにあなたにもされる。』と書かれている通りです。私たちもソロモンのように御心を行なうべきでしょう。そうすれば私たちにも神は望み通りにして下さいます。何故なら、もし私たちが御心通りのことをしているのであれば、私たちは決して神の御心に適わないことを願わないでしょうから、私たちの望みは叶えられることになるわけです。ですから、主はこう言われたのです。『あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。』(ヨハネ15章7節)ソロモンの願いを聞かれる際、神は『夜』に『ギブオンで』『夢のうちに』現われて下さいました。『ギブオン』で現われたのは、そこでソロモンが生贄を捧げたからです。生贄を捧げた日の『夜』に現われたのは、事柄における流れの適切さのためだったはずです。『夢のうちに』現われたのは、神は古代時代にこのようなやり方をしておられたからです。創世記は、アブラハムの時代でも神がこのようにされたことを書き記しています。

 

【3:6】
『ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。それは、彼が誠実と正義と真心をもって、あなたの御前を歩んだからです。』
 願いを言うように命じられたソロモンは、まずダビデに与えられた神の大きな御恵みを語ります。ソロモンが言っている通り、神はダビデに『大いなる恵みを施されました』。このような御恵みゆえ、ダビデは高められ、守られ、導かれ、栄えることができたのです。もし神の御恵みがなければ、ダビデはずっと平民のままであり、普通の歩みをしていただけだったかもしれません。このような御恵みを施されたダビデは、神に喜ばれていました。それはダビデが『誠実と正義と真心をもって』御前に歩んでいたからです。もしこのようにダビデが歩んでいなければ、神はダビデに御恵みを施しておられなかったかもしれません。何故なら、正しい態度と心を持たずに歩む者は、神に喜ばれることができないからです。神はこの『誠実と正義と真心』を喜ばれ、非常に重視しておられます。良い行ないがあっても、良い心が無ければ、神の御前に意味はありません。パリサイ人たちは行ないがあっても心は無かったので、キリストから大いに非難されたのです。ですから、私たちはこのことをよく弁えるべきです。100の善行があっても0%の心であるならば、1の善行しかなくても100%の心はあるほうが遥かに優っています。もし0%の心で100の善行をするぐらいならば、善行などしないほうがましです。0%の心しかない善行は善行だと言い難いからです。最も望ましいのは、言うまでもなく100の善行を100%の心で行なうことです。