【1:37】
『主が、王さまとともにおられたように、ソロモンとともにおられ、彼の王座を、わが君、ダビデ王の王座よりもすぐれたものとされますように。」』
ベナヤはここでソロモンについて2つのことを願っています。まず一つ目は、神がダビデと共におられたように、ソロモンとも共におられることです。これはベナヤがイスラエルとその王を尊んでいた証拠です。実際、神はソロモンと共にいて下さいました。もっとも、ソロモンは晩年になると、偶像崇拝に陥り大きな罪を犯してしまったのですが。二つ目は、ソロモンの王威と治世が、ダビデのそれより『すぐれたものとされますように』ということです。これもやはりベナヤがイスラエルとその王を蔑ろにしていなかった印です。ベナヤがこのように言ったとしても、ダビデに妬みは起こらなかったでしょう。というのも親は往々にして子が自分を越えることを望むものだからです。ソロモンはベナヤが願った通り、ダビデよりも輝かしい王座に与かることとなりました。歴史が示す通り、このソロモンの時代に、イスラエルの繁栄はピークに達したのです。
【1:38~40】
『そこで、祭司ツァドクと預言者ナタンとエホヤダの子ベナヤ、それに、ケレテ人とペレテ人とが下って行き、彼らはソロモンをダビデ王の雌騾馬に乗せ、彼を連れてギホンへ行った。祭司ツァドクは天幕の中から油の角を取って来て、油をソロモンにそそいだ。そうして彼らが角笛を吹き鳴らすと、民はこぞって、「ソロモン王。ばんざい。」と叫んだ。民はみな、彼のあとに従って上って来た。民が笛を吹き鳴らしながら、大いに喜んで歌ったので、地がその声で裂けた。』
こうして親ソロモンの立場だったツァドクとナタンたちは、ダビデの命令通り、ソロモンをギホンで王にしました。この時には民が集まって来ました。その集まった民の数がどれだけだったかは分かりません。しかし、かなりの数がいたのではないかと思われます。こうして民が『笛を吹き鳴らしながら、大いに喜んで歌ったので、地がその声で裂け』ました。『地がその声で裂けた』とは、つまりあまりにも巨大な歓声が生じたということを示す詩的な表現です。このような類の表現は聖書に多く見られます。
こうしてソロモンこそ御心だったので、ソロモンが正式にイスラエルの王となりました。この通り、神の御心に適った者が、その国を支配する者とされるのです。アドニヤのような御心に適わない者は、正式な王になることができません。というのも、パウロがローマ書で言っている通り、権威とは神が与えられるものだからです。神の御心に適わない者がどうして神から王権をいただけるでしょうか。ソロモンのような御心に適った者であれば、自分から願わなかったとしても、支配者の地位に導かれます。しかし、御心に適っていなければ、たとえ人々がその人による治世を望もうとも、決して支配者となることはありません。要するに神の御心に全てがかかっているのです。私たちの願いや支持は究極的な決定要因になり得ません。私たちはこのことをよく弁えるべきでしょう。
【1:41】
『アドニヤと、彼に招待された者たちはみな、食事を終えたとき、これを聞いた。ヨアブは角笛の音を聞いて言った。「なぜ、都で騒々しい声が起こっているのだろう。」』
アドニヤは、自分が王になったのを祝おうとしたのでしょう、招待された者たちと共に食事をしました。これは祝いのために行なわれる食事だったでしょうから、かなり豪華な宴会だったと思われます。皆がこの時に食事を終えると、ちょうどエルサレムからソロモンの任職を喜ぶ大きな声が聞こえて来ました。それは地を裂くほどの声でしたから(Ⅰ列王記1:40)、離れた場所にいたアドニヤたちにも聞こえたのです。しかし、まだヨアブにはこれが何の声であるか分かりません。大きな声であっても、離れていれば、何だかよく分からない音にしか聞こえないものです。その声は、ヨアブたちにとって悲劇となるものでした。御心に適っていない者たちには、神からの悲劇が、突如として襲い掛かって来るものなのです。