聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記3:6~8(2023/07/19)

【3:6~7】
『あなたは、この大いなる恵みを彼のために取っておき、きょう、その王座に着く子を彼にお与えになりました。わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。』
 神はダビデに大いなる御恵みを与えられましたが、その子ソロモンを次のイスラエル王とされました。これは神がその『恵みを彼のために取ってお』かれたからです。神はダビデに与えられた御恵みを、ダビデだけに限定されませんでした。つまり、その御恵みはダビデからソロモンに引き継がれたのです。それゆえ、もしダビデに御恵みが無ければ、その子ソロモンも王となれていなかったでしょう。その場合、ダビデの子でない誰か別の者が、次の王となっていたはずです。ソロモンとはダビデへの御恵みによる王だったのです。このようにソロモンは神がその御心により王となるよう定めておられました。他の者では無かったのです。この通り、神の定められた者こそがその国における王となります。これは今の時代でもそうです。今の時代に見られる支配者は、誰でも神に支配者として立てられた存在なのです。このため、聖書は支配者を呪うなと命じているわけです。また支配者を尊ぶべきだとも命じているわけです。ソロモンは自ら王位を望み求めていなかったでしょう。それを望み求めたのはアドニヤでした。しかし、アドニヤは王位を求めたのに得られませんでした。それを求めていなかったであろうソロモンが王となったのです。求めている者でなく求めていない者が支配者や力ある有名人にまで高められる。神はしばしばこのようになさいます。ダビデもそうでしたし、ルターも間違いなくそうでしたし、アブラハムそうだったと言えるでしょう。

 

【3:7】
『しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。』
 ソロモンは自分が神から王に召されたことをよく知っており、またその召しを受け入れていました。モーセの場合は神から与えられた召しに抵抗してしまいました。しかし、まだこの頃のソロモンは『小さい子ども』でした。このため、ソロモンは『出入りするすべを知りません』でした。これは、まだ経験が足りないので世間で巧みに生きる思慮に乏しいという意味です。知恵があっても経験がまだ足りなければ、どうにもならない場合も多くあるのです。ソロモンは知恵がありましたから、このように自分がどのような状態であるかはっきり認識していました。というのも、知恵とは事物をありのまま正確に把捉する精神の力だからです。愚か者であれば自分をよく把捉せず高ぶって誇るのです。箴言でも言われている通り、愚か者は自信過剰だからです。

 

【3:8】
『そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。』
 ソロモンは無数の民衆を相手にする立場でした。1人の支配者に対してほとんど無限とも思える数の民衆が向き合っているのです。これがソロモンと民衆における関係図でした。その民衆の数はあまりにも多かったので、とても数えることは出来ないと思えたほどです。ですから、私たちは当時のイスラエル人が実際にどれぐらいいたか具体的な数を知ることが出来ません。当時の王であったソロモンでさえ『数えることも調べることもできないほど』の民がいたと言っているわけですから、どうして後世の人間である私たちがその数を知れるでしょうか。