聖書の学び

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Ⅰ列王記4:24~25(2023/08/04)

【4:24~25】
『これはソロモンが、大河の西側、ティフサフからガザまでの全土、すなわち、大河の西側のすべての王たちを支配し、周辺のすべての地方に平和があったからである。ユダとイスラエルは、ソロモンの治世中、ダンからベエル・シェバまで、みな、おのおの自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下で安心して住むことができた。』
 先に見た通りイスラエルが繁栄の喜びを享受できたのは、イスラエルイスラエルの支配する王国に平和があったからです。というのも平和があってこそ真の喜びもあるのだからです。もし平和でなければ恐れや心配があるので、真に喜ぶことは難しいでしょう。これは私たちの経験も証しすることです。不穏な時、誰が心から喜んで食べたり飲んだりできるでしょうか。このような平和は、神が御恵みにより与えておられました。というのも、神の御恵みなくして平和などあり得ないことだからです。今のロシアとウクライナを見て下さい。彼らは呪われているので恵みを受けていません。ですから、今のロシアとウクライナには平和がないわけです。このようにイスラエルは平和でしたから、ユダヤ人たちは『ソロモンの治世中、ダンからベエル・シェバまで、みな、おのおの自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下で安心して住むことができ』ました。『ダンからベエル・シェバまで』とは、つまりイスラエル全土のことです。『ダン』はイスラエルの最北部にある相続地であり、『ベエル・シェバ』はユダの相続地の南にある場所です。『ソロモンの治世中』と書かれているのは、ソロモンの時代が過ぎると、イスラエルは引き裂かれて平和でなくなるからです。ここで『ぶどうの木の下』と言われているのは、キリストを象徴しているのかもしれません。つまり、ユダヤ人たちはキリストの御救いのうちに保たれていたということです。何故なら、キリストはヨハネ福音書で御自分を『ぶどうの木』だと言われたからです。このような平和がイスラエルに訪れたのは、明らかにソロモンの名前と関連しています。「ソロモン」という名前は<平和>という意味だからです。ソロモンがソロモンという名であるのは、明らかに神の意図でした。神はソロモンの時代に平和が訪れるよう定めておられたので、ダビデの次になる王がソロモンと名付けられるよう働きかけたのでしょう。アダムも土から取られたので「アダム」すなわち<土>という名前でした。名前は実質そのものを示すことが多いのです。このようなソロモン時代における平和は、イスラエルの歴史上、特別に実現された平和でした。イスラエル人が真の平和を享受できたのはソロモンの時代だけだったでしょう。エジプトでの奴隷時代では抑圧されていましたし、荒野の時代もかなり悲惨でした。士師の時代も敵に支配されてばかりいました。ダビデの時代も戦い続きでした。ソロモンの時代に至って、やっと真の平和が長らく訪れるようになったのです。このソロモン以降になると、キリストの時代に至るまで、イスラエル人はずっと悲惨続きでした。特にアッシリヤとバビロンとアンティオコスから滅ぼされた時は最悪でした。神に捨てられて御民としての状態を失ってからも、今までずっとイスラエル人は悲惨続きです。特にヒトラーの時は最悪でした。そればかりでなくイスラエル人はハザール系イスラエル人の混入により、誰が真のイスラエル人であるのか識別することが困難になっており、もはや民族的にカオスな状態となっています。今は肌に色の付いていない白人でさえイスラエル人と見做されるようになったのです。このようなイスラエル人がこれからソロモン時代のような平和を享受することは、もう二度とありません。