聖書の学び

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Ⅰ列王記3:9~12(2023/07/20)

【3:9】
『善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」』
 無数の民を前にして、ソロモンは上手く統治できると思えませんでした。当時の政治形態が現代日本のようであれば、あまり問題は無かったかもしれません。現在の天皇は日本の最高権威者ですが、しかし統治の力は行使しない状態であり、政治にもほとんど関与せず、象徴的な存在に留まっています。しかし、この時代のイスラエルにおいて王は統治せねばならなかったのであり、王は政治そのものでした。このようなソロモン王が政治をしないわけにはいきません。ソロモンが、政治をしないで遊んでばかりいたサルダナパロスやヘリオガバルスのようになるのは許されませんでした。ですから、ソロモンは神に『善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心』を願い求めます。このような心が与えられれば無数の民衆を上手く統治できるからです。神がこのような心を与えて下さるならば、どうして巧みに統治できないはずがあるでしょうか。ソロモンがこのように願ったのは、まだソロモンがこのような心を与えられていなかったからです。つまり、ソロモンの統治力は神から与えられた恵みだったことが分かります。

 

【3:10】
『この願い事は主の御心にかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。』
 ソロモンの願いは全く御心に適いました。何故なら、ソロモンは王として召されたからです。王の本質また存在意義とは「統治」です。その統治のためソロモンは幸いな心を求めたのですから、どうして神の御心に適わないということがあったでしょうか。ソロモンはつまり「神の召しを忠実に遂行させて下さい。」と願い求めたのだからです。ソロモンは前から統治のことで悩んでいたはずです。神はその悩みをご覧になっておられたでしょう。ですから、神はその悩みからこのような願いを引き出されたのです。というのも、神は正しい悩みを持つ者に顧みて下さるからです。また神は正しい者に対して情け深い御方だからです。私たちも正しい悩みに基づく正しい願いを持つべきでしょう。そうすれば私たちの祈りは聞かれると期待してよいのです。正しい悩みに基づかない正しくない願いであれば、祈りが聞かれることは無いでしょう。何故なら、神は正しくない者を喜ばれないからです。ヨハネ福音書で盲目だった者も言った通り、『神は罪人の言うことは聞かれない』のです。

 

【3:11~12】
『神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。』
 ソロモンは、『長寿』や『富』や『敵のいのち』を求めたりしませんでした。『長寿』は多くの人が欲するものです。『富』も願い求める人は少なくありません。『敵のいのち』が失われたらと希望する人はどれだけ多いことでしょうか。しかし、ソロモンはそのような事柄を求めず、むしろ『自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めた』のです。これは『長寿』や『富』や『敵のいのち』を求めるより真面目な求めでした。その求めには私利私欲が無かったからです。ソロモンはただ自分を召して下さった神と民衆すなわち隣人のためにこそ、こう求めたのです。これは神と人とを愛せよと命じている律法に適っていました。このため、神はソロモンの願いを喜ばれ、彼に『知恵の心と判断する心』を与えられました。『知恵の心』とは事物を正しく把握し読み取る理性の力です。『判断する心』とは捉えた事柄において、悪を退け善を選び取る力です。このような心が神の御恵みにより与えられたのです。それはソロモン自身から出たものではありませんでした。私たちから良いものは何も出ないからです。それはバプテスマのヨハネが、『人は天から与えられるのでなければ何も受けることはできません。』と言った通りです。