聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記6:20~22(2023/09/02)

【6:20】
『内堂の内部は、長さ二十キュビト、幅二十キュビト、高さ二十キュビトで、』
 ここでは内堂すなわち至聖所の大きさが精確に示されています。Ⅰ列王記の記者は、残されていた宮の正式な記録か口伝の記録により、至聖所の大きさをここで書いたのでしょう。もうⅠ列王記が書かれた時代には、ソロモンにより建てられた宮は失われていたと考えられます。ですから、Ⅰ列王記の記者が、自分で実際に宮の大きさを調べることはできなかったでしょう。とすれば、文書であれ口伝であれ残されていた記録を参照して、このように書いたことになるはずです。その至聖所の大きさは『長さ二十キュビト、幅二十キュビト、高さ二十キュビト』すなわち長さも幅も高さも8.8mでした。至聖所は全き立方体だったのです。このような形と大きさが主の御心でした。至聖所がこのように整合的な形だったのは、神の完全性に相応しいからだったと思われます。立方体より完全性を示すのに相応しい形が何かあるでしょうか。「球」であれば立方体と同じぐらい完全性を示せますが、球も立方体を越えるということまではいかないでしょう。このため、アレイスター・クロウリーなど魔術師たちは祭壇の形として立方体を採用するわけです。彼らが邪悪な業のために完全性を示す形を使うのは良くありません。神はこのような形と大きさの至聖所におられるのを望まれました。これは覚えておいて損のないことです。何故なら、これを覚えておけば神に関する知識が一つ増えるからです。

 

【6:20~22】
『純金をこれに着せた。さらに杉材の祭壇にも純金を着せた。ソロモンは神殿の内側を純金でおおい、内堂の前に金の鎖を渡し、これを金でおおった。神殿全体を、隅々まで金で張り、内堂にある祭壇もすっかり金をかぶせた。』
 至聖所は金張りとされました。また、この至聖所だけでなく『杉材の祭壇』や『鎖』に至るまで、ソロモンは『神殿全体を、隅々まで金で張り』ました。使われたのは銀でなく金です。これは金のほうが銀よりも美しく高い価値だったからでしょう。栄光の神がおられる宮に銀でなく金を使うべきだというのは、いちいち説明する必要もないことです。また、この金は『純金』でした。それには全く混じり気が無かったのです。栄光の神の宮に混じり気のある金を使うというのは、とんでもなく不敬なことです。純金は宮の内側を覆い尽くしたのですから、その総量はかなりのものだったはずです。しかし、この時代のイスラエルはそのような金を用意することができました。「ソロモンの栄華」と言われるように、この時代のイスラエルは非常に繁栄していたからです。神はこのように宮が金張りとされるためにも、ソロモン時代のイスラエルを栄えさせられました。もしイスラエルが貧しければ、宮もその貧しさに応じて貧相になりかねないからです。