聖書の学び

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Ⅰ列王記8:14~15(2023/10/11)

【8:14】
『それから王は振り向いて、イスラエルの全集団を祝福した。イスラエルの全集団は起立していた。』
 この時に『イスラエルの全集団』は宮の前の庭で全員が『起立してい』ました。『イスラエルの全集団』とは、ソロモンおよびイスラエルの長たちであり、一般の人々もいたかもしれません。彼らが起立していたのは、神の箱が宮に運び入れられていたからです。これは神が移動しておられたことです。であれば、どうしてそのような出来事の際、その出来事を見ている人々は起立していなくていいはずがあるでしょうか。律法では、白髪の老人の前でさえ起立しているべきだと命じられています。老人の前でさえ起立しているべきだとすれば、尚のこと神の御前では起立しているべきでしょう。もしこの時に起立していないユダヤ人がいたとすれば、どれだけ不敬だったことでしょうか。そのような人は、老人より神のほうが下だと言っているのも同然なのです。その全集団の前にソロモン王が立っていました。これはソロモンが民の代表者だったからです。宮が雲で満ちると、ソロモンは人々のほうを『振り向いて』、それから『イスラエルの全集団を祝福し』ました。このように重要な出来事の際は、民を祝福するのが相応しかったのです。

 

【8:15】
『彼は言った。「イスラエルの神、主はほむべきかな。』
 ソロモンがこのように神を賛美したのは、遂に宮が建てられたからです。神の住まわれる聖なる宮がやっと完成しました。その建設は神の御恵みによりました。ですから、神はこの時に崇められるべきだったのです。ここでは『イスラエルの神』と言われていますが、この神は全宇宙・全人間の神であられます。古代ではまだイスラエル人だけがこの神を奉じていましたから、このように言われているのです。しかし、このように言われているからといって、神が単にユダヤ人だけの民族的な神に過ぎなかったというわけではありません。『主』と訳されているのは原文で『ヤハウェ』だという点に注意せねばなりません。