聖書の学び

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Ⅰ列王記8:15~17(2023/10/12)

【8:15~17】
『主は御口をもって私の父ダビデに語り、御手をもってこれを成し遂げて言われた。『わたしの民イスラエルを、エジプトから連れ出した日からこのかた、わたしはわたしの名を置く宮を建てるために、イスラエルの全部族のうちのどの町をも選ばなかった。わたしはダビデを選び、わたしの民イスラエルの上に立てた。』それで私の父ダビデは、イスラエルの神、主の名のために宮を建てることをいつも心がけていた。』
 ソロモンは自分の父ダビデのことを回想しています。神はダビデの時でさえ、まだ御自分の宮を建てさせるため、どの町をも選んでおられませんでした。イスラエルの中でもっとも重要な部族であるユダの町でさえも、まだ選んでおられませんでした。ユダの町でさえ選ばれていなかったのであれば、尚のこと他部族の町は選ばれる余地がありませんでした。何故なら、ユダでない部族の町が選ばれるぐらいならば、ユダの町のほうが選ばれていたに決まっているからです。神が宮のため町を選んでおられなかったのは、神が『民イスラエルを、エジプトから連れ出した日からこのかた』約300年の期間でした。これはかなり長い期間です。しかし、神は町を選んでおられなかったものの、ダビデを選んで王としておられました。ダビデは宮を建てる町に先んじて選ばれたのです。ですから、ダビデは『イスラエルの神、主の名のために宮を建てることをいつも心がけてい』ました。これは、ダビデがもう選ばれているのに対し宮を建てる町のほうはまだ選ばれていなかったからです。

 

 このように神はソロモンの時代に至るまで、御自分の宮がないままにしておられました。神はモーセたちがエジプトを出てから、すぐにも宮を建てさせることもおできになりました。しかし、神はこれまでずっとそうされませんでした。どうして神はここまで宮なしで済ませておられたのでしょうか。これは何事にも「順序」というものがあるからです。人間であれば、最初の人間であるアダムとエバを除き、誰も最初から成人として生まれる人などいません。キリストも人間が堕落してからすぐには現われず、堕落してから約4000年後に現われました。これらのことからも分かる通り、神はまだ順序に沿っていなかったので、宮がないままにしておられたのです。しかし、今やもう宮が建てられるべき順序となりました。ですから、ソロモンの時代となってはもう宮が<建てられねばならなかった>のです。