聖書の学び

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Ⅰ列王記10:23~24(2023/12/30)

【10:23】
『ソロモン王は、富と知恵とにおいて、地上のどの王よりもまさっていた。』
 ソロモンを上回る『富と知恵』に恵まれた王は全く存在していませんでした。どの王も、ソロモンを下回る『富と知恵』しか持っていませんでした。これは神がソロモンに御恵みを大いに与えて下さったからです。『富』について言えば、先に見た通り、ソロモンは少なくとも666タラント以上の金を所有していました。他の王は全てこれ以下の資産しか持っていませんでした。しかも、先に見た通り、ソロモンの資産はそのままでなく更に増し加えられていました。ソロモンが王の中で最も富む者だったというのは、ソロモンの死ぬ時まで変わらなかったはずです。このようなことのため、今に至るまで「ソロモンの栄華」という言葉が言い伝えられているわけです。『知恵』について言えば、これもやはりソロモンを上回る知恵に恵まれた王はどこにもいませんでした。ソロモンと同等程度の知恵を持つ王さえ全くいませんでした。何故なら、神の英知が与えられたのは地上でソロモンだけだったからです。もしソロモンと並び立つ知恵の持ち主である王がいたとすれば、その王にも神の英知が与えられたことになります。ソロモンと知恵比べをしようとする王がいたとすれば、それは神と知恵比べをするようなものでした。何故なら、ソロモンは神でなかったものの神の英知が与えられていたからです。このように『富と知恵とにおいて、地上のどの王よりもまさっていた』ソロモンでしたが、だからといって自分自身を誇ることはできませんでした。その『富と知恵』は神が与えて下さったものであり、ソロモン自身から出たものではないからです。もしソロモンが富と知恵のことで自己を誇っていたとすれば、ソロモンは神に栄光を帰さなかったことになります。ですからソロモンは、「この富と知恵は私が自分自身で得たものだ。」などと決して言えませんでした。もし言えばネブカデネザルのようになっていたことでしょう。

 

【10:24】
『全世界の者は、神が彼の心に授けられた知恵を聞こうとして、ソロモンに謁見を求めた。』
 ここで『全世界』と言われているのは、慣用的な意味での『全世界』すなわち西洋社会および中東社会が認識する限りでの『全世界』です。当時の西洋と中東はまだインドより東の地域についてよく知らなかったからです。彼らはアメリカ大陸の存在も全く認識していなかったでしょう。古代ローマは「全世界の主人」などと言われましたが、これは厳密に言えばインドより西側の地域を意味する「全世界」です。私たちは古代人の世界観がまだ狭かったことを考慮すべきです。このような『全世界』にいる『者』とは、イスラエルでない外国に住む大小様々な者だったはずです。そのような者には、シェバの女王のような支配者や貴族や有力な一般人また無名の一般人までいたと考えられます。彼らはソロモンに神が『授けられた知恵を聞こうとして、ソロモンに謁見を求めた』のでした。これはソロモンに与えられた英知が価値高く非常に貴重だったからです。それは単に価値高く貴重なだけでなく、ソロモンという大王の持つ英知だったわけですから、人々から求められるのは当然だったと言えましょう。ソロモンの英知を聞こうと求めた人々は実に多かった可能性が高いでしょう。しかし、それが実際にどのぐらいの数だったかまでは詳しく分かりません。