聖書の学び

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Ⅰ列王記13:15~18(2024/02/21)

【13:15~17】
『彼はその人に、「私といっしょに家に来て、パンを食べてください。」と言った。するとその人は、「私はあなたといっしょに引き返し、あなたといっしょに行くことはできません。この所では、あなたといっしょにパンも食べず、水も飲みません。というのは、私は主の命令によって、『そこではパンを食べてはならない。水も飲んではならない。もと来た道を通って帰ってはならない。』と命じられているからです。」』
 神の人に会った預言者は、自分と飲み食いするよう神の人に求めます。預言者は息子たちの報告を通して、神の人が決して飲み食いすべきでないことをよく知っていたはずです。それにもかかわらず、預言者はこのようなことを求めました。これは神の人が本当に忠実な人であるかどうか確かめるためでした。もし神の人が神への忠実さを保つのであれば、決して預言者の求めには応じないでしょう。しかし、背くような神の人であれば預言者に応じるはずなのです。預言者は神の人を憎んでいるからというので、このように試したのではないはずです。ただ確かめるためにこそこうしたはずです。預言者が試した相手はこの通り人間でした。つまり、その相手は神ではありませんでした。これが神であれば預言者は罰されていたでしょう。何故なら、律法では『あなたの神である主を試みてはならない。』と命じられているからです。神の人はこの時も、前の場合と同様、飲み食いすることを拒否しました。彼が拒否したのは正しいことでした。神の人は何度求められても全て断るべきだったのです。もし断らなければ神に対して罪を犯すこととなるからです。この預言者からの求めの場合も、神の人が応じたかったのかどうかは分かりません。個人的には応じたい気持ちがあったかもしれませんし、面倒なので嫌だった可能性もあります。

 

【13:18】
『彼はその人に言った。「私もあなたと同じく預言者です。御使いが主の命令を受けて、私に『その人をあなたの家に連れ帰り、パンを食べさせ、水を飲ませよ。』と言って命じました。」こうしてその人をだました。』
 求めを断られた預言者でしたが、預言者はまだまだ良しとはしませんでした。預言者は神の人が真に神に従う人なのかどうか更によく知ろうとします。そのため、この預言者は驚くべき事柄を言うことさえ厭いませんでした。預言者は神と御使いさえ、神の人を試すために利用したのです。すなわち、預言者は神が御使いを通して一緒に飲み食いするよう命じられた、などと神の人に話したのです。これは預言者の勝手な作り話だったはずです。何故なら、神がそれまでに言っておられた内容と真逆の事柄を神の人に告げられることは考えられないからです。それというのも、神とは真実で正しい御方なのであり、決して偽りを言われることのない存在だからです。預言者が自分でこのように言っただけだということです。そのようにしか考えられないのです。しかし、神はそのように預言者が偽ることを許されました。神がそうするのを許されたのは、神も神の人が本当に忠実さを貫き通すか知ろうとしておられたからなのでしょう。この箇所では、このような預言者に対して『だました』と言われています。これは預言者を批判しているのだと思われます。何故なら、神が言われたのでもないことをあたかも神が言われたかのように言って偽るのは、どう考えても批判に値することだからです。