聖書の学び

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Ⅰ列王記13:3~5(2024/02/17)

【13:3~5】
『見よ。祭壇は裂け、その上の灰はこぼれ出る。」ヤロブアム王は、ベテルの祭壇に向かって叫んでいる神の人のことばを聞いたとき、祭壇から手を伸ばして、「彼を捕えよ。」と言った。すると、彼に向けて伸ばした手はしなび、戻すことができなくなった。神の人が主のことばによって与えたしるしのとおり、祭壇は裂け、灰は祭壇からこぼれ出た。』
 預言における印は、『祭壇は裂け、その上の灰はこぼれ出る』というものでした。それは『その日』、『神の人が主のことばによって与えたしるしのとおり』、実現しました。神の人が預言を語ってから、それは「すぐ」に起きたのです。そのように印が示されない場合、ヤロブアムはこの預言を侮っていたかもしれないからです。ヤロブアムの偶像崇拝は、神の御心に適いませんでした。ですから、ヤロブアムの造った『祭壇は裂け、その上の灰はこぼれ出る』のです。こうして祭壇は惨めとなります。そこにあった『灰はこぼれ出る』ことになりました。ここで『見よ』と言われているのは、物理的にも精神的にも注目せよという意味です。この箇所で言われている印は重要だからです。

 

 神の人は預言をしている際、叫んでいました。これは預言が非常に重大だったからです。キリストも重大な事柄を言われる際は、しばしば叫ばれました。このため、神の人が語っている預言をヤロブアムは気付きました。というより、気付かせるため、神の人は預言を叫びつつ語っていたのです。神はこの預言を通して、ヤロブアムに思い知らせようとしておられたからです。しかし、ヤロブアムはこのような神の人を捕えようとします。ヤロブアムからすれば、この神の人は単なる邪魔者に過ぎなかったのかもしれません。このようにして伸ばされたヤロブアムの手は、『しなび、戻すことができなくな』りました。これは忌まわしい祭壇に向けられていた手で、神の人を捕えるようヤロブアムが命じたからです。こういった罪深い手であれば、このようになったとしても文句は全く言えないでしょう。