聖書の学び

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Ⅰ列王記13:11~14(2024/02/20)

【13:11】
『ひとりの年寄りの預言者がベテルに住んでいた。その息子たちが来て、その日、ベテルで神の人がしたことを残らず彼に話した。また、この人が王に告げたことばも父に話した。』
 『ベテルに住んでいた』『ひとりの年寄りの預言者』が、どのような名前だったかは分かりません。この預言者の詳細についても、それはよく分かりません。ここから書かれる出来事では、この預言者というより、この預言者に関わる出来事の内容が注目されるべきです。この時代にはこういった預言者が多く存在していました。この預言者は『ベテルに住んでいた』のですから、恐らくユダ族ではなかった可能性が高いでしょう。

 

 この預言者には『息子たち』がいました。この息子たちが何人いたかまでは分かりません。彼らは『ベテルで神の人がしたこと』および神の人が『王に告げたことば』を、直接的にであれ間接的にであれ知りました。そのことを彼らは預言者である父に報告します。息子たちがこのように報告した意図は何だったか分かりません。

 

【13:12~14】
『すると父は、「その人はどの道を行ったか。」と彼らに尋ねた。息子たちはユダから来た神の人の帰って行った道を知っていた。父は息子たちに、「ろばに鞍を置いてくれ。」と言った。彼らがろばに鞍を置くと、父はろばに乗り、神の人のあとを追って行った。』
 神の人について報告を受けた預言者は、神の人が帰った道を知ろうとします。それは神の人に会って働きかけるためでした。『息子たちはユダから来た神の人の帰って行った道を知っていた』ので、それを父に知らせます。すると預言者は『ろばに乗り、神の人のあとを追って行』きました。『ろば』は当時における一般的な乗り物です。

 

【13:14】
『その人が樫の木の下にすわっているのを見つけると、「あなたがユダからおいでになった神の人ですか。」と尋ねた。その人は、「私です。」と答えた。』
 預言者が神の人のいる場所に行くと、この預言者は神の人に話しかけます。まだこの預言者と神の人は一度も会っていませんでした。神は恐らく預言者に神の人の風貌がどのようなのか教えておられなかったはずです。息子たちが神の人の風貌を預言者に知らせていた可能性はかなり高いでしょう。このように初対面でしたから、まず預言者は神の人が本当に神の人か確かめることから話を始めます。神の人が『樫の木の下にすわってい』たのは、神の人における揺るがない堅固さを示しているのでしょう。何故なら、『樫の木』とは揺るがない堅固さを持つものだからです。