聖書の学び

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Ⅰ列王記13:1~2(2024/02/14)

【13:1】
『ひとりの神の人が、主の命令によって、ユダからベテルにやって来た。ちょうどそのとき、ヤロブアムは香をたくために祭壇のそばに立っていた。』
 ヤロブアムが酷いことをしたので、『主の命令によって』『神の人が』ヤロブアムのもとへ遣わされました。神の人が遣わされたのは、ヤロブアムに宣告を与えるためでした。この『神の人』という存在については、もう既に見た通りです。ここで書かれている『神の人』の名前は示されていません。『神の人』は、神の御命令を素直に守り行ないます。神がこの神の人に対し、ヤロブアムのもとへ行くよう命じられました。ですから、この神の人はその命令通りヤロブアムのもとへ行ったのです。その時にヤロブアムは『ベテル』にいましたが、神の人は『ユダから』このベテルに行きました。この人が『ユダ』からベテルに行ったのであれば、この人はユダ族だったのかもしれません。この人が『ユダ』のどの地域からベテルに向かったのかまでは分かりません。

 

 神の人がベテルに行った際、『ヤロブアムは香をたくために祭壇のそばに立ってい』ました。つまり、ヤロブアムは偶像崇拝の行為をしようとしていました。律法では神に対し香をたくよう命じられており、偶像に対してそうせよとは命じられていません。ですから、ヤロブアムが香をたこうとしていたのは明らかな罪でした。この時におけるヤロブアムの礼拝行為が、これで何回目だったのかは分かりません。前節でヤロブアムは『香をたいた』と書かれていましたから、この時が香をたく最初の時だったということはないでしょう。もしかしたら、ヤロブアムはもう何百回と偶像に対して香をたいていた可能性もあります。

 

【13:2】
『すると、この人は、主の命令によって祭壇に向かい、これに呼ばわって言った。「祭壇よ。祭壇よ。主はこう仰せられる。』
 神の人は祭壇の前に行くと、この祭壇に対して神からの宣告を告げました。その宣告はヤロブアムに対する預言でした。ここで神の人が『祭壇よ。祭壇よ。』と祭壇について繰り返して言っているのは、つまり祭壇を強調しているのです。神の人は祭壇に強く語りかけているのです。私たちも、何か強い思いがあれば、ある事柄や名前を繰り返して口にするものです。例えば若い人が何かに衝撃を受けたとすれば、「やばい。これはやばい。」などと<やばい>という言葉を繰り返すのです。『主はこう仰せられる。』とは預言における定型句です。神からの預言が語られる際は、それが本当に神からの預言であることを示すため、『主はこう仰せられる。』などと言わねばなりませんでした。この定型句を偽って使うことはできませんでした。何故なら神の言葉でない言葉を神の言葉であると告げるのは、とんでもないことだからです。