聖書の学び

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Ⅰ列王記3:16~18(2023/07/25)

【3:16】
『そのころ、ふたりの遊女が王のところに来て、その前に立った。』
 ソロモンが素晴らしい夢を見てから後、『ふたりの遊女』が訴え事を持ってソロモンのもとに来ました。これはソロモンに裁判をしてもらうためです。古代の王制において、王とは裁判官であり、しかも最高裁判官でした。古代において王は法そのものだったからです。このため、古代の王は自分で法を定め、自分でその法を適用し、自分で廃止したり出来たのです。この時代のイスラエルでは、モーセ時のイスラエル共同体に倣い、多くの裁き司がいたはずです。そのような制度では、下位の裁き司が手に負えない案件を、上位の裁き司に委ねます。この2人の遊女の案件は、これまでずっと手に負えないとされたので、最高裁判官であるソロモン王のもとに持ち運ばれて来たのでしょう。つまり、これまでに既に解決されていたとすれば、遊女たちがソロモンのもとに来ることは無かったはずです。しかし、このように2人の遊女がソロモンの前に現われたのは、どのような意味があったのでしょうか。それはソロモンに与えられた神の知恵が公の場で示されるためでした。神は御自分がソロモンに与えた知恵を、人々に示そうと欲されました。ですから、このような裁判が実現されるため、神は前々からこのような出来事が起こるよう事象を仕組んでおられたのです。

 

【3:17~18】
『ひとりの女が言った。「わが君。私とこの女とは同じ家に住んでおります。私はこの女といっしょに家にいるとき子どもを産みました。ところが、私が子どもを産んで三日たつと、この女も子どもを産みました。家には私たちのほか、だれもいっしょにいた者はなく、家にはただ私たちふたりだけでした。』
 この2人の遊女たちは一つの家で共同生活をしており、他に共同生活する者は誰もいませんでした。恐らく遊女という職業だったので、一緒に住んだほうが何かと好都合だったのかもしれません。この遊女たちが正式な夫を持っていたかどうかは分かりません。しかし、夫がいたかどうかというのは別にどうでもいいことです。ある時に一方の遊女が子どもを産むと、その『三日』後にもう一方の遊女も子どもを産みます。ここまでの話には何も問題がありません。ここで話している遊女はありのまま事実を話しており、偽りは言っていなかったはずです。