聖書の学び

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Ⅰ列王記17:10~12(2024/05/07)

【17:10~11】
『その町の門に着くと、ちょうどそこに、たきぎを拾い集めているひとりのやもめがいた。そこで、彼は彼女に声をかけて言った。「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」彼女が取りに行こうとすると、彼は彼女を呼んで行った。「一口のパンも持って来てください。」』
 エリヤが神の御言葉通りに行くと、ツァレファテの門に『たきぎを拾い集めているひとりのやもめがい』ました。この女こそ神が言っておられた女でした。『門』の内側に普通であれば町があります。ですから、この女は恐らくエリヤがこの町で初めて会った女だったはずです。神はエリヤがこの女を見つけるため、女が門で『たきぎを拾い集めている』ようにされたのです。彼女が薪を拾い集めていた理由は後ほど書かれることになります。

 

 エリヤは神の御言葉を堅く信じていましたから、やもめに養われることを疑いませんでした。この時に出会った女が、神の定められたやもめであるかもしれないとエリヤには思えたはずです。ですから、エリヤはこの女に『ほんの少しの水を』くれるよう求めました。この女が定められた女であれば、必ず水を与えてくれるだろうからです。実際にこの女は定められた女でしたから、エリヤに水を求められると、『取りに行こうと』しました。彼女が水を取りに行こうとしたのであれば、確かに彼女が定められていた可能性はかなりありました。このため、エリヤは水を『彼女が取りに行こうとすると』、『一口のパンも持って来て』くれるようにと求めます。彼女が定められた女であれば、水だけでなく食べ物も与えてくれるはずだからです。初めて会った女に水とパンを求めるというのは、普通であれば、少しおこがましかったかもしれません。しかし、エリヤには神からの御言葉がありましたから、このようにしても別に行き過ぎだということはありませんでした。信仰を持つことの益の一つは、このような大胆さを持てることです。

 

【17:12】
『彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。私は焼いたパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです。」』
 やもめ女は、水のほうであれば用意することができました。しかし、パンのほうはどうしても用意できませんでした。何故なら、彼女にはパンを作るほどの材料が無かったからです。彼女には『かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少しの油があるだけ』でした。これではパンを作ることができませんでした。彼女は持っていた僅かな材料を『調理し』、『それを食べて』息子と『死のうとしてい』たのです。彼女が『たきぎを集め』ていたのは、このように調理をするためでした。しかしエリヤは彼女の事情を詳しく知らなかったので、水だけでなくパンをも彼女に求めたわけです。彼女が『二、三本』の薪を集めていたのは、数字的な象徴性を持たないはずです。これは単に少しの薪を集めようとしていただけでしょう。

 

 この時に女が『あなたの神、主は生きておられます。』とエリヤに言ったのは、既に見た通り、誓いの言葉です。つまり、彼女は自分の話している内容に嘘や偽りが全く無いと言っているわけです。もしこのように誓いながら嘘や偽りを言っていたとすれば、神の御名を用いて誓った以上、彼女は神から罰せられていたでしょう。