聖書の学び

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Ⅰ列王記7:23~26(2023/09/20)

【7:23~26】
『それから、鋳物の海を作った。縁から縁まで十キュビト。円形で、その高さは五キュビト。その周囲は測りなわで巻いて三十キュビトであった。その縁の下に沿って、ひょうたん模様が回りを取り巻いていた。すなわち、一キュビトにつき十ずつの割りでその海の周囲を取り巻いていた。このひょうたん模様は二段になっており、海を鋳たときに鋳込んだものである。これは十二頭の牛の上に据えられていた。三頭は北を向き、三頭は西を向き、三頭は南を向き、三頭は東を向いていた。この海は、これらの牛の上に載せられており、牛の後部はすべて内側に向いていた。その海の厚さは一手幅あり、その縁は、杯の縁のようにゆりの花の形をしていた。その容量は二千バテであった。』
 ソロモンは、青銅細工師ヒラムに『鋳物の海』も作らせました。この海は宮の左手前に設置されました。この海のすぐ右上には、先に見たボアズの柱が立っています。この『鋳物の海』は水を入れる大きな容器であり、その水は清めのために使われます。律法では汚れの清めについて定められています。ですから、ユダヤの各地には清めるための水が用意されていました。オリーブ山にもそのような水のある場所がありました。そのような場所のうち、この『鋳物の海』が最も多くの水を入れてある場所だったはずです。それというのも、宮の場所には、ユダヤ全土から犠牲を捧げるためユダヤ人がやって来るのだからです。つまり、宮には汚れた人々が多くやって来ます。ですから、そこには大量の水を入れる容器が必要だったのです。この容器の『容量は二千バテ』でした。1バテは23リットルですから、これは46トンです。物凄い量だったことが分かります。この海と呼ばれる容器は『円形』に作られていました。つまり、角ばったところがありませんでした。これは水の出し入れをし易くするためだったと思われます。どこかに角があれば、出すにしろ入れるにしろ、作業がしにくくなるからです。海は『縁から縁まで十キュビト』すなわち4.4mでした。これは容器の直径です。容器の『周囲は測りなわで巻いて三十キュビト』すなわち13.2mでした。『その高さは5キュビト』すなわち2.2mです。これは全てのユダヤ人の身長よりも高かったでしょうが、このような高さだったのですから、水を出し入れするためには上がらなければならなかったはずです。これは何か不純物がそこに入りにくくするため、すなわちそこにある水が綺麗に保たれるためだったと考えられます。高さがあれば、それだけ不要物は入りにくくなります。その容器の表面には『ひょうたん模様が回りを取り巻いて』いました。その模様は『一キュビトにつき十ずつの割り』でした。表面は『三十キュビト』だったのですから、この容器の表面には『ひょうたん模様』が全部で300個あったことになります。この模様は『二段になって』いましたが、これは装飾としてその容器を目立たせるためだったのでしょう。この模様は『海を鋳たときに鋳込んだもの』でした。つまり、この容器が宮に持ち運ばれた時は、もう既に模様が刻まれていた状態でした。このような模様が海に刻まれたのは、芸術性のため、また容器が単調にならないためだったと思われます。ちょうど人間の顔が単調でないように作られたのと一緒です。また、この容器は『十二頭の牛の上に据えられてい』ました。聖書で「12」は選びを意味していますから、これはつまり選ばれている御民を清めるために入れられた水だということなのでしょう。確かに神がキリストにおいて選んでおられないのであれば、人に清めが与えられることはないのです。海の下に牛の像が置かれたのは、牛が清い家畜であり、重い容器を支える家畜として相応しかったからなのでしょう。その牛の『三頭は北を向き、三頭は西を向き、三頭は南を向き、三頭は東を向いていた』のは、ユダヤ全土にいるユダヤ人が清めを受けるのだからです。事実、ユダヤ人はこの宮に東西南北の場所からやって来たのです。これらの『牛の後部はすべて内側に向いていた』のですが、これは牛の後部を覆い隠すためだったはずです。聖なる宮の場所で、牛の後部が露出されるというのは相応しくないのです。この容器の縁の『厚さは一手幅』ありました。これほどに縁が厚かったのは、容器の外観のため、また容器が水の圧力で壊れないためだったはずです。もし厚くなければ、多くの水で容器が壊れたかもしれませんし、見た目にもみすぼらしくなっていたかもしれません。その縁は『ゆりの花の形』をしていました。これもやはり外観の美しさのためだったでしょう。神の宮がある場所には芸術性こそ相応しいのだからです。