聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記6:16~17(2023/08/30)

【6:16】
『ついで、彼は神殿の奥の部分二十キュビトを、床から天井の壁に至るまで、杉の板で張った。このようにして、彼は神殿に内堂、すなわち、至聖所を造り上げた。』
 先に見た通り、宮の長さは『六十キュビト』すなわち26.4mでした。これは50m走の半分ぐらいであり、ちょうど4~5秒ぐらい走ったほどの長さです。そのうち『二十キュビト』すなわち8.8mが奥のほうに『至聖所』として区切られました。私たちはこの『至聖所』を一般的に至聖所と言うだけです。しかし、ここでは至聖所が『内堂』と書かれていますから、至聖所をこのように呼んでも問題はありません。この至聖所の場所も、やはり杉の板張りとされました。木材で張られたというのがポイントです。すなわち、他の素材ではありませんでした。木材で内部を張るのが御心だったのです。神は至聖所にも木材が張られるのを良しとされたのです。これが今の時代であっても、やはり宮の内部は木材で張られたことでしょう。もっとも、もう人の手による神の宮は二度と建てられないのですが。この至聖所は、宮の中で、またイスラエル全土において、最も重要な場所です。イスラエルのどの場所もこの至聖所には及びません。何故なら、至聖所には神がおられるからです。もちろん、神が『天にも地にも、わたしは満ちているではないか。』(エレミヤ23:24)と言われた通り、神はどこにでもおられます。しかし、神は至聖所に強く臨在しておられたので、人間的な認識の見地から神は至聖所におられたと言われるのです。

 

【6:17】
『神殿、すなわち、前面の本堂の長さは四十キュビトであった。』
 至聖所の前にある『本堂の長さは四十キュビト』すなわち17.6mであり、そこは「聖所」と呼ばれる場所です。この聖所には祭司たちが入り、聖務を行ないます。しかし、至聖所に入れるのは大祭司だけであり、しかも入れるのは年に1度だけです。この至聖所に神がおられます。聖所はこの至聖所の前にある場所であって、至聖所からは区切られています。このことから、至聖所と聖所における大きな違いがよく分かります。