聖書の学び

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Ⅰ列王記8:31~32(2023/10/25)

【8:31】
『ある人が隣人に罪を犯し、のろいの誓いを立てさせられることになって、この宮の中にあるあなたの祭壇の前に来て誓うとき、』
 ヤコブの子たちが聖なる民であったにしても、その一人一人は罪人に過ぎません。ですから、同胞に対して罪を犯すこともあります。ここではそういったケースについて言われています。ここで犯されたとされる『罪』がどのような内容だったかは、問題となりません。ここでは『罪』が一般的に言われているからです。ソロモンは、罪を犯した者が『のろいの誓いを立てさせられることになっ』たと言います。これは何のことでしょうか。罪を犯すというのは誰でも分かりますが、『のろいの誓い』とは何なのでしょうか。これは、罪を犯した者が「私は呪われるべき罪深い行ないをしました(または<しませんでした>)。」と誓うことです。『祭壇の前』とは、すなわち神の御前です。神の御前で偽りを誓うのは難しいことです。ですから、罪を犯された者は、罪を犯した者が決して偽れないよう『祭壇の前』で真偽について誓わせるのです。もし祭壇の前でなければ罪を犯した者は偽りかねません。そのように偽るのは咎めを免れるためですが、祭壇の前で誓うならば寧ろ偽ることが咎めへと直結するのです。この箇所で『のろいの誓い』と言われているのは、少し理解しにくいかもしれません。これは呪いを誰かにかけるための誓いという意味ではありません。これは呪われるべき行ないをしたかどうか神の御前で誓うことです。これは『祭壇の前』で誓うことに大きな意味があります。神がそこでまざまざと聞いておられるのに、どうして嘘の誓いを口にできるでしょうか。

 

【8:32】
『あなたご自身が天でこれを聞き、』
 ソロモンは、この『のろいの誓い』を神が聞いて下さるようにと求めています。確かに神はこのような誓いをしっかり聞かれます。何故なら、神は宮の場所で『夜も昼も御目を開いていてくださって』(Ⅰ列王記8章29節)おられるからです。神は宮で捧げられる普通の祈りであっても、しっかり聞いて下さいます。誓いとはつまり強力極まりない祈りです。ですから、神が普通の祈りでさえしっかり聞いて下さるのであれば、誓いの祈りは尚のことよく聞かれるのです。