聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記17:22~23(2024/05/13)

【17:22】
『主はエリヤの願いを聞かれたので、子どものいのちはその子のうちに返り、その子は生き返った。』
 エリヤは『神の人』であり、神により歩む者でした。ですから、『主はエリヤの願いを聞かれ』ました。正しい者の願いは神に聞かれるのです。しかし、罪深い者の願いは退けられてしまいます。こうして『子どものいのちはその子のうちに返り、その子は生き返』りました。この子どもは病気のために死にました。しかし、子どもはその病気が癒された状態で生き返ったはずです。何故なら、もし神が病気を持ったままの状態で生き返らせたとすれば、生き返らせてもまたすぐに病気で死んでしまうでしょうから、生き返らせた意味はあまりなくなるからです。この子どもが死んでどれぐらいしてから生き返らされたかということは、分からなくても問題にはなりません。ただ神により子どもが死から生き返らされたということを知っていれば、確かにそうです。

 

【17:23】
『そこで、エリヤはその子を抱いて、屋上の部屋から家の中に降りて来て、その子の母親に渡した。そして、エリヤは言った。「ご覧、あなたの息子は生きている。」』
 エリヤは子を生き返らせるため受け取ったのですから、子どもが生き返った今や、もうその子を母親に返すことになりました。すなわち、エリヤは『その子を抱いて、屋上の部屋から家の中に降りて来て、その子の母親に渡した』のです。この時にエリヤは女に『ご覧、あなたの息子は生きている。』と言い、子どもが生き返ったことを女に悟らせようとしました。この時、子どもを受け取った女には大きな喜びがあったことでしょう。エリヤも喜んでいたはずです。神も喜んでおられたに違いありません。