聖書の学び

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Ⅰ列王記8:28(2023/10/21)

【8:28】
『けれども、あなたのしもべの祈りと願いに御顔を向けてください。私の神、主よ。あなたのしもべが、きょう、御前にささげる叫びと祈りを聞いてください。』
 ソロモンは、神の無限性をそのまま入れられる宮を建てたのではありませんでした。もしそのような宮を建てるとすれば、ソロモンは神でなければいけませんでした。しかしソロモンは被造物である有限な人間に過ぎませんでした。有限な存在は有限な物しか作れません。確かに宮は有限な大きさしかありませんでした。神にとってそれはあまりにも小さいのです。しかしソロモンは『けれども』と言い、そのような自分であるものの、祈りを聞き入れていただきたいと神に願い求めています。つまり、ソロモンはここで遜っています。このような謙遜は正しいことでした。ここでソロモンは『私の神、主よ。』とまた神を呼び求めています。これもやはり神に対するソロモンの強い思いを示しています。また、ソロモンはここで自分を神の『しもべ』であると言っています。ソロモンはイスラエル社会において王でした。しかし、神の御前でソロモンは王というより寧ろ『しもべ』でした。神の御前に僕であるという点で、ソロモンは一般民衆と同じ立場だったのです。ここでソロモンは『祈りと願い』と言っています。『祈り』とはソロモンが捧げている祈りの全体のことであり、『願い』とは祈りの中で語られている願いの部分を意味します。ですから、どちらも同じ行為について言っているものの、この2つの言葉は少しだけ違った意味を持っています。またソロモンはここで『叫びと祈り』と言っています。『叫び』とはソロモンの祈りにおける敬虔な激しさを示しており、『祈り』とはその叫びを含んだ祈りの全体です。つまり、『叫び』よりも『祈り』という言葉のほうが広い範囲の意味内容です。