聖書の学び

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Ⅰ列王記12:15~16(2024/02/02)

【12:15】
『それは、主がかつてシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムに告げられた約束を実現するために、主がそうしむけられたからである。』
 偶然というものは存在しません。全ては神の定められた通りに起こるからです。この時の出来事もそうでした。レハブアムが長老たちでなく若者たちの助言通りにしたのは、『主がかつてシロ人アヒヤを通してネバテの子ヤロブアムに告げられた約束を実現するため』でした。神はかつてヤロブアムに対し、ソロモンの子から取り上げた部族をヤロブアムに与えると約束しておられました。この約束は絶対に実現されねばなりませんでした。ですから、神はレハブアムが若者たちの助言通りにするよう働きかけられたのです。そうすれば後の箇所から分かる通り、神の約束が実現することになるからです。もしソロモンが酷い堕落に陥っていなければ、ソロモンの子から部族が取り上げられることもなかったでしょう。そうであってもソロモンが過酷な重労働を民に負わせていた可能性はあります。しかし、その場合であっても、神の呪いはイスラエルに注がれないわけですから、レハブアムは若者たちでなく長老たちの助言を受け入れていたことでしょう。

 

 この通り、神の御計画が実現されるため全ては起こります。神はそのため王の心をさえ自由自在に動かされます。ソロモンがこう言った通りです。『王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。』(箴言21章1節)カルヴァンも言った通り、この御言葉は王だけでなくあらゆる人について言えるのです。それゆえ、何かが起こればそこには神の働きかけがあります。神はそれを実現させるため、全てに働きかけ調整されるのです。

 

【12:16】
『全イスラエルは、王が自分たちに耳を貸さないのを見て取った。』
 イスラエル人たちは、レハブアムの言葉と態度に揺るがなさを感じ取りました。何故なら、レハブアムは『荒々しく民に答え』(Ⅰ列王記12:13)たからです。このため、民はレハブアムがもう過酷な状況を決して変えてくれないと悟りました。つまり、レハブアムの言葉と態度は決定的でした。何事であれ、こういった決定的なことがしばしばあるものです。