聖書の学び

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Ⅰ列王記12:20~21(2024/02/06)

【12:20】
『全イスラエルは、ヤロブアムが戻って来たことを聞き、人をやって彼を会衆のところに招き、彼を全イスラエルの王とした。ユダの部族以外には、ダビデの家に従うものはなかった。』
 ヤロブアムが『全イスラエルの王』となることこそ神の御心でした。それゆえ、ヤロブアムがエジプトより戻ってから、全イスラエルはこのヤロブアムを自分たちの王としました。神がヤロブアムに王権を与えられたのですから、ヤロブアムがレハブアムを差し置いて王となったとしても合法でした。この時にヤロブアムは正式な王となりました。それまでヤロブアムは一般の人物に過ぎませんでした。しかし、ユダ族だけはあくまでもレハブアムに従い続けました。それ以外の部族は、レハブアムを嫌ったので、もうレハブアムを自分たちの王と認めませんでした。

 

【12:21】
『レハブアムはエルサレムに帰り、ユダの全家とベニヤミンの部族から選抜戦闘員十八万を召集し、王位をソロモンの子レハブアムのもとに取り戻すため、イスラエルの家と戦おうとした。』
 反発した民にレハブアムは対抗し、『王位をソロモンの子レハブアムのもとに取り戻すため、イスラエルの家と戦おうとし』ました。レハブアムは民に反発されたままじっとしているわけではありませんでした。もし10部族が言葉の説得で態度を変えるようであれば、レハブアムは説得しようとしていたかもしれません。しかし、明らかにもう10部族は説得など受け入れようとしていなかったはずです。ですから、レハブアムは武力による屈服を通して、反発した民から王位を取り戻そうとしたのです。この時に『十八万』もの戦闘員が召集されたのは、レハブアムが焦っていたことを示しているのでしょう。しかも、召集されたのは『選抜』された戦闘員たちです。レハブアムは何が何でも王位を取り戻そうとしていたに違いありません。この時に『ユダの全家』だけでなく『ベニヤミンの部族から』も戦闘員が召集されたのは、ユダのすぐ北に位置していたベニヤミンの相続地もその大半が南王国ユダとなったからです。この時にレハブアムが召集した選抜戦闘員の「18」万という数字に象徴的な意味はあるでしょうか。続く箇所から分かる通り、レハブアムが兵士たちを召集したのは御心でありませんでした。ですから、この「18」(万人)は御心に適わないことを示す数字であり、三つの6(666)に分解できるのだ、と考える人がいるかもしれません。しかし、666を合計数18で示している箇所は他に聖書で見られません。この箇所もそうではなく、単なる象徴性のない18万人という数字に過ぎないと思われます。もし聖書が666を18で示していたとすれば、同じやり方で777も21として示せるでしょうが、聖書に777を21として示している箇所は無いはずです。もしここでの「18」が666を示すというのであれば、他にも同じ示し方がされている箇所が聖書であったはずです。もし聖書でここ一つだけであるとすれば根拠が弱いと言わざるを得ません。