聖書の学び

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Ⅰ列王記12:32(2024/02/12)

【12:32】
『そのうえ、ヤロブアムはユダでの祭りにならって、祭りの日を第八の月の十五日と定め、ベテルで自分が造った子牛にいけにえをささげた。』
 ユダでは、これまでと同様、『第八の月の十五日』に祭りが行なわれていました。それは律法が規定している聖なる祭りです。この祭りについては前に詳しく見た通りです。ヤロブアムは宮と祭司のことで罪を犯しただけでなく、偶像のためこの祭りに倣うということまでしました。ユダがこの祭りを行なうのは全く御心でした。しかし、ヤロブアムが子牛のために祭りを行なうのは間違っていました。こうしてヤロブアムは『自分が造った子牛にいけにえをささげ』ました。これも十戒の第二番目の戒めに違反しています。ですから、それは紛れもない罪でした。律法が命じているのは、神に対して生贄を捧げることです。偶像に対して生贄を捧げよと神は律法で命じておられません。このように北王国イスラエルは、最初の王からしてもう既に異常な状態でした。最初からこうであればこれ以降は一体どうなることでしょうか。実際、これからのイスラエルには罪深い王たちばかりが現われたのです。少し話はずれますが、王であれ何であれ最初が肝心である場合は珍しくありません。何故なら、最初の事柄により全体的な方向性と意味が規定されるからです。古代ギリシャ古代ローマにおける「最初は全体の半分である」という諺は真実なのです。ロケットにしても最初からずれて発射されたならば、もう正常な軌道に戻る見込みは持てなくなるのです。ですから、北王国イスラエルが最初からこのような王に支配されていたのは最悪のことでした。