聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記12:32~33(2024/02/13)

【12:32】

『また、彼が任命した高き所の祭司たちをベテルに常住させた。』
 ヤロブアムは、勝手に任命した祭司たちを、ベテルの勝手な宮に『常住させ』ました。この祭司たちは、子牛に仕える本格的な祭司だったのでしょう。副業とかいい加減な態度では無かったはずです。この祭司は『たち』と書かれていますから、ヤロブアムが任命した祭司は1人だけでなく複数いました。このように『常住させた』のもまた神の御前で罪となりました。神は偶像のために祭司を宮で常住させよなどと言っておられないからです。この箇所では『ベテル』のほうについてだけ言われています。もう一つの子牛が安置されていた『ダン』のほうはここで全く触れられていません。

 

【12:33】
『彼は自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえをささげ、イスラエル人のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえをささげ、香をたいた。』
 こうしてヤロブアムは、勝手に祭りを定め、勝手に偶像崇拝をしました。祭りを定めたのも生贄を捧げたのも、どちらも罪です。ヤロブアムは神の御心と真逆のことを行ないました。ここでは一つの事柄がヘブル的な二重表現により、2回の言い方で言われていると考えられます。すなわち一回目は『彼は自分で勝手に考え出した月である第八の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえをささげ、』という部分であり、二回目は『イスラエル人のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえをささげ、香をたいた。』という部分です。この2つはどちらも同じ事柄を違う言い方で言っていると思われます。そうでなければ、この2つは別々のことを言っているのです。すなわち、前者のほうは『第八の月の十五日』に行なわれた祭りのことであり、後者のほうは前者で言われていない祭りのことです。この2つの解釈はどちらもあり得るものです。