聖書の学び

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Ⅰ列王記13:6~7(2024/02/18)

【13:6】
『そこで、王はこの神の人に向かって言った。「どうか、あなたの神、主にお願いをして、私のために祈ってください。そうすれば私の手はもとに戻るでしょう。」神の人が主に願ったので、王の手はもとに戻り、前と同じようになった。』
 ヤロブアムは自分の手が異常になりましたので、神の働きかけがあったことを悟ります。これで神の働きかけに気付かなければ、ヤロブアムの鈍感さは宇宙一だったでしょう。こうしてヤロブアムは、神の人が神に癒しを願うよう求めます。ヤロブアムは自分自身で神に祈りを捧げませんでした。これは偶像崇拝の罪により、ヤロブアムの心が神から遠く離れていたからです。もしこんな罪を犯していなければ、そもそも子牛を作ることもなかったでしょうから、このように罰せられもしなかったことでしょう。こうして神の人は、王の求め通り、ヤロブアムの手が元通りになるよう願い求めました。すると、『王の手はもとに戻り、前と同じようにな』りました。神は御自分の僕が捧げる願いであれば聞き入れて下さるからです。もしヤロブアムが自分自身で神に祈っても、その祈りは聞き入れられていなかったはずです。ヤロブアムはそのことを分かっていたからこそ、こうして神の人が祈ってくれるように求めたわけです。

 

【13:7】
『王は神の人に言った。「私といっしょに家に来て、食事をして元気をつけてください。あなたに贈り物をしたい。」』
 手が元通りになったヤロブアムは、神の人をもてなそうとします。このような態度は、少し前に『彼を捕えよ。』などと言っていた態度とは大違いです。ヤロブアムは、印と自分の手に起きた異常事態を通して、神と神の人を大いに恐れたのでしょう。つまり、ヤロブアムは恐れのためここで諂っているわけです。しかし、神の人をもてなそうとしたその態度に偽りは恐らく無かったはずです。ヤロブアムは豪華な『食事』で神の人を元気付けようとした可能性が高いのです。また『贈り物』も十分な分量を贈るつもりだったでしょう。何故なら、また手または他の部位が悲惨になったとすれば大変だからです。ここで『家』と言われているのは、ヤロブアムが住む宮殿のことでしょう。