聖書の学び

聖書の学び

Ⅰ列王記15:7~8(2024/04/01)

【15:7】
『アビヤムのその他の業績、彼の行なったすべての事、それはユダの王たちの年代記の書にしるされているではないか。』
 アビヤムの生涯における記録でも、先に見た王たちの場合と同様、聖書は工夫しています。もしアビヤムの記録が全て記録された場合、他の王たちの記録とも合わせれば、それは非常に多い分量となっていたはずです。これでは聖書のバランスがおかしくなってしまいます。ですから、聖書はアビヤムのことでも『ユダの王たちの年代記の書』を参照せよと導いているわけです。この『年代記の書』に記されたアビヤムの記録は、かなり少なかった可能性が高いでしょう。何故なら、アビヤムが王であった期間は3年だけだったからです。繰り返しになりますが、この『年代記の書』はもう既に失われています。この文書が失われたことについては、もう既に述べられましたから、これ以降、また繰り返して述べなくても問題はないでしょう。

 

『アビヤムとヤロブアムとの間には争いがあった。』
 このアビヤムとヤロブアムの間にも、レハブアムとヤロブアムの間にあったのと同様、対立がありました。アビヤムも父と同じでレハブアムと和合できなかったのです。アビヤムはレハブアムの子ですから、これは当然だったかもしれません。何故なら、父である者に対する反発は、往々にしてその父の子である者にも継承されるものだからです。実際、ヤロブアムがレハブアムに抱いていた反発は、その子アビヤムに継承されています。先に見た通りアビヤムの治世は3年間だけでしたから、アビヤムとヤロブアムが対立していた期間も3年だったはずです。

 

【15:8】
『アビヤムは彼の先祖たちとともに眠り、人々は彼をダビデの町に葬った。』
 こうしてアビヤムも短い統治をした後、死にました。『彼の先祖たちとともに眠り』という表現は既に確認した通りです。このアビヤムが何歳の時に、またどのようにして死んだかは、ここで示されていません。父であるレハブアムが死んでから僅か3年後に死んだというのは、子の死としてはかなり早いものでした。アビヤムは死んでから『ダビデの町』すなわちベツレヘムに葬られました。アビヤムも父であるレハブアムと同じく、しっかりと墓に葬られたのです。これは例外者を除いて墓に葬られなかったヤロブアム家の者たちと大きく異なる点です。